硯と墨の文化圏で筆記用具として必需品だった時代、硯や筆、墨、水滴などの筆記用具一式を木箱に納めた硯箱を備えていました。時代が移り変わり、すぐに書ける鉛筆やペンが普及した現代では日本でも使われる方はほとんどいないと言っても過言ではありません。
古来、中国では文人の書斎を文房と言い、文人が書斎で用いる道具の中でもっとも重要な筆、墨、硯、紙の4種を文房四宝と呼びました。その四宝に、日本で生まれたガラスペンをくわえた五つの文房品をコレクションした「文房五寶(ぶんぼうごほう)」を2024年に株式会社呉竹が製作いたしました。
かつて日本の政治、文化の中心であった大和国(現在の奈良)は、遷都した後も唐や仏教文化の影響が色濃く残り、今日に至るまで製墨技術が受け継がれています。1902年、奈良で墨屋として創業した株式会社呉竹は、製墨技業の伝承だけでなく、日本の職人の素晴らしさを世界にも広めたいという思いから「上質を日常に」をコンセプトにした書道用品の開発をはじめました。
現代の生活様式にふさわしい、洗練された意匠を施した日本の粋を集めた文房具のセットです。
墨を磨く音、素材の手触り、筆やペン先から伝わる和紙の筆触、五感を通して豊かな手書きの時間はいかがでしょうか。
文房五寶 商品詳細
墨、硯、筆、ガラスペン、木盆(トレー)は、厳選した素材でひとつひとつ職人の巧緻な手作業で作られています。それぞれの特徴をご紹介いたします。
◾️固形墨
株式会社呉竹 古墨 「尚徳(しょうとく)」
サイズ:1.8丁型(75mm × 20mm ×9mm )
種類/原料:純松煙墨/生松の松煙 超微粒子(和歌山県)
製墨:1989年 厳冬(採煙 1940年)
特徴:茶味 優雅な墨色
尚徳は、80年以上前に紀州の松煙問屋で生松煙から採煙した超微粒の煤を原料に用い、造墨から30年程経過したたいへん希少な逸品です。
さらに、こちらの古松煙に使用されている煤は、12世紀後半の熊野詣の古事にちなんだ独特の方法で採取され、二度と入手できないと言われています。
製墨から長い年月を経た墨を、いわゆる「古墨」と言います。品質の良い古墨を育てるには、上質な墨と長い歳月だけでなく、保管状態の良し悪しも影響します。
時の流れが育くんだ古墨ならではの、気品ある墨色からインスパイアされるかもしれません。
なお、古墨や原料の煤の違いによる特徴については、こちらの記事をご参照ください。
また、製墨は煤、膠、香料を練り上げた墨の玉を、木型に入れて乾燥させることから、木型作りから始まります。
尚徳の木型に使われた梨材は、墨の玉の水分を吸っても寸法に狂いが生じないほど硬い材質が使われており、緻密な意匠の表現が可能となっています。
◾️硯
株式会社宝研堂
美しいすり鉢状の硯とケース
製硯:製硯師 青柳貴史(株式会社宝研堂/宮城県・東京都)
硯材:玄昌石(宮城県)
・薄くても耐久性がある
・墨を磨りおろす性能に秀でている
硯の形状:円形
墨堂(磨るところ)の特徴:緩やか傾斜を帯びたすり鉢形状
一般的な硯との違いは、墨堂(丘/磨るところ)が中心にかけて緩やかな傾斜を帯びたすり鉢形状である点です。これは磨った墨が硯の中央に集まる仕組みになっており、ガラスペンが吸い上げやすいように考慮されています。
硯材に使用された玄昌石は、日本の製硯産地でも有名な宮城県産です。耐久性があり、磨りやすく美しい墨色が表れます。代表的な和硯の石材のひとつです。
造形史上もっとも古く、人間工学的にも優れた円形のデザインは、機能性と造形美を現代の生活に溶け込むような硯にしたいと願う、製硯師の思いから生まれました。
硯の石肌
◾️筆
株式会社杉浦製筆所 豊橋筆
製筆:伝統工芸士 杉浦美充(株式会社杉浦製筆所/愛知県)
穂(毛):いたち尾毛
軸:梅の枝(日本産)
多くの産地では穂の製造工程に複数の職人が携わりますが、豊橋筆は基本的に一人の職人で仕上げます。
筆の要である穂は、現在では非常に入手困難な「いたち尾毛」を主体に仕立てられました。
まとまりが良く、墨ふくみに優れた穂は筆運びもスムーズです。弾力があり先が利くので、仮名と漢字だけでなく絵画表現にも適しており、緩急のある豊かな線描が可能です。
持ち手となる筆軸には日本の梅の枝が使用され、使うほどに美く艶のある木肌の模様が浮かびます。植物ならではの優美な曲線と指なじみは、自然からの贈りものとも言えるでしょう。
◾️ガラスペン
ガラス工房スタジオ嘉硝
製作:田嶋嘉隆(ガラス工房スタジオ嘉硝/福井県)
ペン先/溝の数:10本
ペン先/先端の形状:半球状
軸・ペンレストの素材:天然桜(吉野山/奈良県)
※2018年の台風で倒木した桜の木を吉野山保全協会様より譲り受けて使用しています。吉野山の桜は保全以外での伐採が禁止されています。
ガラスペンは1902年(明治時代)に江戸の風鈴職人によって発明された日本生まれの筆記具です。
使い方はペン先にインクを浸けるだけですが、実はたっぷりとインクを浸けることで想像以上に長く描き続けることができます。その仕組みのポイントは毛細管現象です。ペン先から溝を伝ってインクが吸い上げられますが、インクは滴りません。
また、溝の数と形状はインクの持ちと密接に関係します。一般的なガラスペンの溝は8〜12本で、数が多いほどインクの保持が良くなります。インクの流れを試行錯誤して辿り着いた10本の溝は、ガラス細工の装飾美だけでなく機能美も実現しています。
さらに、書き味はペン先の仕上げや研磨のプロセスと深く結びつきます。半球状に丁寧に研磨されたペン先は、スムーズでなめらかな書き心地をもたらします。
ペンを持つ角度や書くスピードでインクの落ちる量も変わるので、抑揚のある線描も可能です。
一方、軸の素材は奈良県にある吉野山の桜の木。吉野山は桜の名所として有名ですが、「紀伊山地の霊場と参詣道」として山全体が世界遺産に登録されているため、保全以外での伐採が禁止されており、こちらの軸は台風で倒木した桜の木を保全協会より譲り受けて作られています。
天然木の温もりを感じる質感と柔らかな茶の色合いと細かく均一な木目は、ガラスの硬質で透明感のある美しさをさらに引き立てています。使うほどに色に深みが増すのも木軸の魅力です。
また、転がりにくい楕円形の軸に、ペンを持つときの指の位置を配慮した窪みなど、細部にまで工夫が施されています。
ガラスのペン先が紙に触れる筆触と静かな心地の良い音は、集中力を高める効果もあると言われています。手紙や日記のような筆記だけでなく、作品の構想をしたい時にもいかがでしょうか。
◾️紙
福西和紙本舗 吉野 手漉和紙
製紙:伝統工芸士 福西正行(福西和紙本舗/奈良県)
原料:楮、白土
乾燥;天日乾燥(板干し)
特徴:強く柔軟性が高い、保存性に優れる
にじみ止め加工:なし
内容量:30枚
福西和紙本舗の手漉き紙の原料は、吉野の畑で育てられた楮と白土(はくど)。
長く強靭な繊維の楮に白土を入れることで、透け止め、防虫、焼け止め(抗酸化作用)効果が加わり、強度と柔軟性を兼ね備えた、保存性に優れた紙ができます。
主に裏打ちや修復で使われていますが、昨今は書や工芸品、美術品にも活躍の場を広げています。
画像左:墨書きした裏面...墨量の多い書き出しの起筆部分以外はほとんど裏写りしません
画像右:紙の表面...長い楮繊維がきれいに分散している様子が見られます
製造工程も古式の手法を伝承し、原料栽培から紙漉きに至るまで吉野で行われています。
なかでも板張りの天日干しによる乾燥は、ゆっくりと紙の繊維が収縮することで、強度のある和紙に仕上がります。
今回のセットは葉書サイズの厚みのある紙が同梱されていますので、墨のぼかしやにじみのような水分の多い技法でも色抜けしにくいので、様々な表現が可能です。
一枚一枚、熟練の職人が丹念に漉いた宇陀紙をぜひご堪能ください。
◾️木工
WOODWORK
実用性を損なわない意匠性の高い硯のケースと木盆
製作:藤本雅也(WOODWORK/東京)
商品:硯ケース・木盆(道具一式を載せるトレー)
素材:タモ材(硯ケース・木盆)
塗装:オイル塗装
硯を包み込むような円形のケースは、収めた時のバランスや墨の磨りやすさを考えた設計になっています。硯に適度にフィットしたサイズ感は、木材の特徴を知り尽くした匠の技なくしてはできません。
道具を載せる木盆も、デザイン性と実用性に富んだ工夫と細部への配慮がなされています。
側面に施された溝があることで持ち上げる際に指がかかりやすく、安定感のあるスタイリッシュなデザインのトレーが完成しました。
さらに、オイル塗装で仕上げた木目が特徴のタモ材は、ナチュラルな無垢材の風合いと、経年によりゆっくり変化していく色合いも味わい深いです。
ご紹介した5品以外に、ガラスの器とスポイト付きガラス瓶が付属しています。
ガラスの器は、磨りかけの墨を載せておく墨床(ぼくしょう)に、ガラス瓶は水を入れて蓋のスポイトを水差しとしてお使いいただけます。
※天然素材を使用している商品は、色や形、大きさには個体差がございます。あらかじめご了承ください。
◾️パッケージ・その他小物
厳選された五つの文房品を包むパッケージにもメイド・イン・ジャパンが詰まっています。
画像左:二重段箱(和歌山)/画像右:こくら木綿風呂敷(福岡県)
オリジナルのロゴが入った二重段箱と、それを包む「こくら木綿風呂敷」。
日本に綿が普及し始めた江戸時代に、現在の福岡県北九州市で小倉織が誕生しました。丈夫で厚みがありながらも、しなやかな手触りは、徳川家康の遺品形見分けにも記録が残されるほど、重宝されていたようです。
シャープな縦縞は織り方に由来します。
堅牢な風呂敷なので、末長くお使いいただけます。
使い方・片付け
◾️硯
【硯で固形墨を磨る】
初めておろす時や、しばらく使っていなかった硯は水に浸してからご使用ください。
① 少量の水を墨堂(丘)に差す
水差しで少量の水を墨堂(丘)に差してください。
② 墨を磨る
力を入れすぎないように、円を描くか、または前後に墨を動かし、墨が溶け出した水にとろみを感じるまで磨ります。
③ 少量の水を足す
少量の水を足します。濃度のある磨墨液を作るには、少しずつ水を足していくと作りやすくなります。
適量まで ①〜③を繰り返し行います。
直接硯の上の墨に筆を浸けて使うこともできますが、墨の使用量が多い場合や硯よりも大きな筆を使う時、また濃淡をつける時や淡墨で描きたい方は、別の器や絵皿に墨を移し替えてください。
初めて墨を磨る方は、こちらの動画をご参照ください。
また、端渓硯・歙州硯の特集記事に硯の基本情報も掲載しておりますので、ご興味のある方は併せてご覧ください。
【硯・墨の片付け方/留意点】
硯は丁寧にお手入れをすることで、長くお使いいただけます。各道具の特性に沿った取り扱いのポイントを記載しておりますので、ご参考になさってください。
・硯
使用後は、墨のカスが残らないようにお湯または水ですぐに洗ってください。ただし、傷がつきやすいので、指または柔らかい素材(スポンジ、ブラシ、布)などで優しく撫でながら墨を落とします。
きれいな硯を使うと墨のおりが良く、発色の良い磨墨液になります。
乾いたら、硯箱などに入れて保管します。
・固形墨
濡れている状態の墨は、磨り口が割れてしまうのを防ぐため、キッチンペーパーなどで拭いてください。
墨床等に置いて、乾かしてから箱にしまいます。
◾️筆
【筆のおろし方/使い方】
新しい固め筆はふのりで固められています。使う前にのりを取り、ほぐすことを「おろす」と言います。ご用途に合わせて筆をおろしてください。
準備するもの:皿(絵皿など)、ぬるま湯、柔らかい布または紙
・穂先だけをおろす場合
細字や細い線描専用に使用する場合は、穂先のみおろすことで、穂先の利きを生かした線や安定した細い線が書きやすくなります。穂先をおろす分量で、文字の太さや書き方が変わります。細い書筆で仮名や小文字の漢字に使用する場合は穂先だけおろすことが主流ですが、表現や筆の毛質、好みによりおろし方は様々です。
① 穂先から⅓程度までぬるま湯に浸ける。
② 穂先から少しずつ指で丁寧にほぐす(おろす部分のみ)。
③ 紙や布に穂先を当てて、回転させながら水分を拭き取る。
・穂全体をおろす場合
穂に墨を多く含ませて書く時や、毛質や用途によって穂全体をおろして表現します。
一般的に大きめの太筆は、こちらの方法でおろします。
① 穂先をぬるま湯に浸ける。
② ぬるま湯に浸けながら穂先から根本に向けて順に指で丁寧にほぐす。
③ 筆の中の糊も十分に取る
④ 紙や布で水分を拭き取る。
【筆の片付け方/留意点】
・穂先だけをおろした筆
水差しなどで少し濡らした紙に、穂先をそっと当てて墨を紙に浸透させながら拭き取ります。
あまり強く押したり水を浸け過ぎると、ほぐしていない部分ののりが取れて穂がばらつきます。穂先の痛みの原因にもなりますので、お気をつけください。
・穂全体をおろした筆
墨が固まる前にぬるま湯で洗います。墨が残らないように、毛の根元部分も指で揉むと良いでしょう。
ペット用のシャンプーを使うと、より墨残りが軽減されます。
布などを使い余分な水気を切ったら、穂を下にして掛けて乾かしてください。
※木や竹軸の場合、穂を上にした状態で干すと、穂首に水分が溜まり、割れやヒビの原因になります。
◾️ガラスペン
【ガラスペンの使い方】
① ペン先の半分〜2/3くらいまで墨やインクを浸ける。
② ガラスペンを持つ(ペンを持つ時と同じ握り方でOK)。
③ 紙に対しペン先を45~60度くらい傾けて、少し寝かせ気味に書く。
多量の墨やインクをご使用される場合は少し深さのある容器に墨やインクを入れると、使いやすくなります。
ペン先につけた墨やインクの量により筆記できる量も変わります。つけすぎた場合は、紙などで余分な墨やインクを少し吸い取ってください。
ガラス製のため、落としたりペン先が硬いものに当たったり、筆圧が強すぎると破損する場合があります。ペンを使わない時は、平らな安定した場所に設置したペンレストやトレーに置いてください。
【ガラスペンの片付け方/留意点】
色を変える時や時間が空く場合は、墨やインクが固まる前に柔らかい布や紙でペン先のインクを優しく拭き取ってください。
使用後はぬるま湯や水で洗浄し、柔らかい布や紙でそっと拭き、収納ケースにしまってください。
なお、墨やインクが固化すると、ペン先の溝に付着した部分は特に落ちにくくなりますのでご留意ください。
文房五寶の墨や筆、ガラスペンを使い、他の紙や色材と合わせることで、さらに奥深い体験が広がります。たとえば、彩華墨や彩墨、朱墨などで色を添えたり、紙の種類を変えることで新たな表現に出会えるかもしれません。
竹和紙のアートカードはにじみ・ぼかし表現に向いている水墨画用と、サイジング効果の強い水彩画用の2種あり、それぞれハガキサイズとSMサイズがございます。
※彩華墨・彩墨・朱墨は、色が見やすい画陶硯や白陶硯のような白い陶硯で磨ることをおすすめしています。
お気に入りの道具を愛でながら、自分と向き合う贅沢なひとときをお楽しみください。
参考資料
株式会社呉竹 https://www.kuretake.co.jp/
商品情報 文房五寶