みなさまは「墨を磨る」という体験をなさったことはございますか。墨を手に持ってそっと硯に置き、水と練り合わせるように、ゆっくりと墨液を作り出す時は、何物にも言いがたいものです。煤と膠とが生み出す繊細なトーンは、東洋美術の長い歴史が生み出した「知」と「美」の集合知と言っても過言でないでしょう。
一見、ハードルが高いように見える「墨を磨る」という行為ですが、一回やり方を覚えてしまえば、どなたでも磨ることができます。本記事では、岩泉氏がオススメする墨の擦り方をご紹介します。これをきっかけに、皆様もチューブ絵具の黒とは一味も二味も異なった、墨の奥深い世界へチャレンジしてみてはいかがでしょうか。
① 墨を磨る準備
まず、硯へ匙などを使って水を垂らします。
その後、中指を使って硯に水を薄くなじませます。
② 墨の持ち方と磨り方について
墨の磨り方は、大きく分けて主に3つの方法があります。
・パターンA
墨を斜めに持ち、上下にスライドさせるように磨る方法
・パターンB
墨を斜めに持ち、上下にスライドさせて擦ったのち、裏返して上下にスライドさせ、磨り口がVの字方になるように磨る方法
・パターンC
硯に対して墨を垂直に立てて、石の上で円を描くようにして磨る方法
各々の擦り方にメリットがありますが、一番重要なことは力を入れないことです。つい強く擦りつけ過ぎたり、焦って磨ろうとすると、硯を傷つけてしまったり、墨本来の発色を作り出せなくなってしまいます。
決して力を入れず、背中をさするようなイメージで、墨を磨っていきます。
当ラボとしては、Cの垂直に墨を磨ってく方法をオススメしております。どうしても斜めに持ってしまうと力を入れて墨を持ってしまいがちです。こちらの方法で行えば、無駄な力が入ることなく、優しいタッチで墨液を作りだすことができます。
③ 美しい墨色を出す為のポイント
墨の色は濃淡だけで様々な表情を作り出すことができます。ただ、薄いトーンを使いたい場合でも、一度ドロドロの状態になるまで墨を練り合わせる必要があります。しっかり練り合わせていない状態の墨液を使用すると、墨本来の発色を生かすことができないためです。
実はこの「練り合わせる」という行為は漢字でも表されています。墨を「する」という文字を漢字で表記する場合、こする意味を持つ「擦る」を想像されるかと思いますが、正しくは磨くという意味の「磨る」という漢字を使用します。
つまり固形墨から墨液を作る際は、硯の平らな面の上で墨を優しく、そしてしっかり”磨く”イメージを持って頂くと、綺麗な墨を作り出すことができます。
墨がしっかり磨れているのを見分けるポイントとしては、磨り始め時と比べて水っぽさが抜けてきて、盤面を磨ったときに硯の底が見えるくらいの粘度が出ているかどうか?が目安となります。
また、硯の形によっては前方に凹みがある場合があります。この部分を池と呼び、ここに墨液を貯めるように墨を磨ることはありません。文房四宝の発祥地、中国では本来、ここは水を貯めて、盤面に加水する際に使用しておりました。ここに墨液を貯めてしまうと、墨と水を馴染ませ、練り合わせることができません。このような形の硯をご使用の方は、ご留意ください。
④ 墨を磨り終えたら
磨り終えた墨は、磨り口が割れてしまうのを防ぐため、キッチンペーパーなどで拭いてください。次に白い陶器のお皿を用意し、そこに墨液を筆ですくって移します。この時、使い古した筆を使用いたします。固形墨のような硬いものですら研磨できる硯ですので、新品の筆を使用するとすぐ摩耗してしまうためです。同じ理由から、この硯の上で直接筆に墨をのせて描画することは、筆を痛めてしまうため避けてください。
墨を移す容器としては、このような形の梅皿をお勧めしております。
乾燥するのを防ぐため、トキ皿用フタがあると便利です。
一番濃い色を容器に移したあと…硯に少しずつ水を加え混ぜ、それを順々に行い色のグラデーションを作っていきます。薄いトーンの墨液を使いたい方は、ここのプロセスで濃淡の調整を行なってください。
以上のプロセスで、膠と煤が織りなす墨本来の美しい発色を得ることができます。是非みなさまも、一見シンプルなようで非常に奥が深い墨の世界をご堪能ください。
PIGMENT TOKYOではECサイトで墨をはじめとする画材を販売しているほか、天王洲のラボでも同商品をお取り扱いしております。「墨を使ってみたいが、希望にあった商品が分からない」という方には、画材エキスパートが丁寧にご説明いたします。是非お越しください。
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