「膠を旅する ―いのちといのちをつなぐ人」展覧会レポート

「膠を旅する ―いのちといのちをつなぐ人」展覧会レポート

「膠を旅する」は、2017年より武蔵野美術大学共同研究「日本画の伝統素材『膠』に関する調査研究」として、同大学の名誉教授・画家の内田あぐり氏を中心に活動がはじまりました。2021年に書籍『膠を旅する』の刊行と、武蔵野美術大学美術館・図書館にて行われた「膠を旅する-表現をつなぐ文化の源流」展へと実を結び、各方面より大きな注目を集めました。

その流れを受けた「膠を旅する ― いのちといのちをつなぐ人」展が、2023年3月に開催されました。

会場は、内田あぐり氏の膠をメディウムとして使用した絵画とドローイング作品、本橋成一氏の食肉処理場で働く人々を見つめた「屠場(とば)」のモノクロ写真を中心に構成。 また、大﨑商店による原皮処理「川漬け」などの(伝統的な)技法を撮影した膠づくりのドキュメント映像が流れ、皮革生産の際に出るニベ(皮屑)、牛の生皮(きがわ)といった品々が並ぶ、インスタレーションのような空間が広がっていました。

 

展覧会風景。本橋成一による《 屠場 》シリーズの写真や、内田あぐりによるドローイングが展示されていた。⚫︎

 

 

前回、武蔵野美術大学美術館で開催した展覧会は、来場者はもちろんのこと、ニコニコ美術館で開催されたトークイベントのオンライン・アーカイブは40000人近くの視聴者が観覧(2023年現在)し、大盛況となりました。この展覧会の際、かねてより「膠を旅する」プロジェクトの協力者であった本橋氏は、「今日はこの展覧会と書籍の記念日で、それはとてもいいことなんだけど、これで終わったわけじゃない。この日を忘れないように、これからも膠の旅をしないといけない」と語りました。

当時はコロナ渦ということもあり、一般公開は予定より大幅に短い期間で開催され、実際に展覧会に足を運ぶのは容易ではありませんでした。こうした状況も受けて、本橋氏がオーナーをつとめるギャラリー・ありかHoleにて、今回の展示が企画・開催されました。

 

会場では大﨑膠の川漬け作業を行った「市川」からインスピレーションを受け、本展に合わせて描いた内田あぐりの新作《 Ichikawa 》が展示されていた。中央には大﨑膠を作る際に出たニベがインストールされていた。⚫︎

 

 

内田氏や本橋氏の作品が持つパワーもさることながら、最も目を引いたのはギャラリー中央部に設置されたモニターに映し出された映像。そこには今でも自然と共生しながら膠作りをする人々の生活そのものが映し出されていました。

 

映像作品《 大﨑膠 —素材の向こう側に見えるもの》のワンシーンを皮越しに眺めた様子。⚫︎

 

 

英語のArtはラテン語のArs(アルス)と関係深い言葉です。そしてそのArsは元々、技術や技法を示すギリシャ語のTechne(テクネー)にも対応しています。

人間の営みに基づく技術そのものをArsとして捉えるのであれば、この《大﨑膠 —素材の向こう側に見えるもの》という映像作品が提示するものは、まさに技術知への賛歌です。 凍てつく寒さに耐えながら河川で皮革の加工作業に従事する彼らの姿は、まるで立体作品と向き合うアーティストのようです。この作品は日本に皮革産業が伝来した1000年前の風景を眼前に想起させ、極東で過ごす私たちの歴史と文化を語りかけています。

古代ギリシャ時代の哲学者ヒポクラテスは「Ars longa, vita brevis(アルスロンガ、ウィータブレウィス)」という言葉を残しました。日本語で「技術は長く、人生は短し」とも訳されるこの一節は、人々が語り継ぎ、紡ぎ続ける技術がいかに大切かを教えてくれているようにも思えます。

 

大﨑商店による《 大﨑膠 牛皮 》。不純物などを取り除き、その純度により四段階に分けられて並べられた大﨑膠。画像奥が最も高純度で、手触りも滑らか。純度が低くなるほど原料の成分も多くなり、濃茶になる。三千本膠同様にケミカル成分を使用せず製作しているが、透明度が高く定着力が強い。◾️

 

 

また、この「膠を旅する ―いのちといのちをつなぐ人」は、循環の物語であるともいえます。亡骸が朽ちていく様子を描いた仏画様式の「九相図(くそうず)」が示しているように、生命の身体は無常です。

しかし、動物たちの身体が分解され、それぞれの部位が食べ物や美術品、メディウムとして転用されることで、新たな生を受けます。この構造こそ皮革産業が示す美学です。

そしてこの展示も以前の繰り返しではなく、新たに現場へリサーチし、そこで得たものを展示するという、変化と循環の営みがここにあります。

当たり前のようにあるものを別様に変えること、同質的なものを異質化することをフランスの思想家ジョルジュ・バタイユは「Altération(アルテラシオン)」と定義づけました。

膠は高温では液体になり、低温では固形化するという可逆的な特性を有しながら、時に絵画用メディウムとして外部にあるものを自身のなかに取り込んでいきます。絶えず変わり、受容し、変容していく「膠の旅」の一連の運動は、こうした膠の特性そのものとも重なります。

 

大﨑商店による《 牛の生皮 》で、古典製法により作られている。◾️

 

 

一見、私たちから縁遠いようにも見える皮革産業は、食用や薬品、医療系カプセルをはじめとするゼラチンの加工技術として、現代の生活にも欠かせないものとなっています。 日本画家、写真家、膠メーカーという世代や表現媒体も異なった人々が集ったこの旅一座は、かつての人類が普遍的に有していた文化の様相を絶えず提示しているのです。

 

 

2021年の「膠を旅する-表現をつなぐ文化の源流」展示リポートと、内田あぐり氏にインタビューをいたしました記事は、下記よりご覧ください。

 

PIGMENT TOKYO「膠を旅する——表現をつなぐ文化の源流」展示レポート

PIGMENT TOKYO 膠の旅の後で——内田あぐりインタビュー①

PIGMENT TOKYO 膠の旅の後で——内田あぐりインタビュー②

 

 

 

 「膠を旅する ―いのちといのちをつなぐ人」

※こちらのイベントは終了しております。

開催期間:2023年3月21日(火)~4月2日(日)11:00~19:00

会場:ありかHole 東京都中野区東中野4-4-1 ポレポレ坐ビル7F

URL:http://polepoletimes.jp/times/arikahole/exhibition/

主催:「膠を旅する」制作実行委員会

助成:公益財団法人花王芸術・科学財団、公益財団法人全国税理士共栄会文化財団、公益財団法人ポーラ伝統文化振興財団

協力:ポレポレタイムス社、大﨑商店、株式会社国書刊行会、FOVEA、PIGMENT TOKYO

 

参考資料:内田あぐり 監修、青木茂/上田邦介/金子朋樹/北澤智豊/北澤憲昭/小金沢智/後藤秀聖/朴亨國/山本直彰 著『膠を旅する』(国書刊行会、2021年)

酒井 健 著『バタイユと芸術 アルテラシオンの思想』(青土社、2019年)

 

リンク:大﨑商店 大﨑商店(おおさきしょうてん) | 兵庫県姫路市の皮革業 | 古典製法 |

 

(⚫️のマークの写真撮影:内田亜里)

(◾️のマークの写真撮影:大矢享)

Profile

大矢 享

PIGMENT TOKYO 画材エキスパート

大矢 享

1989年東京生まれ。 日本大学大学院芸術学研究科造形芸術専攻博士前期課程修了。 PIGMENTにて画材エキスパートとして携わりながら、平面作品を中心にアーティスト活動中。

1989年東京生まれ。 日本大学大学院芸術学研究科造形芸術専攻博士前期課程修了。 PIGMENTにて画材エキスパートとして携わりながら、平面作品を中心にアーティスト活動中。

白石 奈都子

PIGMENT TOKYO 画材エキスパート

白石 奈都子

多摩美術大学染織デザイン専攻卒業。オリジナルの紙や和紙、書を主体とした制作に携わり、現在はアーティストとして活動中。

多摩美術大学染織デザイン専攻卒業。オリジナルの紙や和紙、書を主体とした制作に携わり、現在はアーティストとして活動中。