2021年5月より同年の6月20日まで武蔵野美術大学 美術館・図書館にて展示されている「膠を旅する——表現をつなぐ文化の源流」展。
その資料的な価値はもちろんのこと、アートワールドにおける膠の価値だけではなく、東洋における”忘れられた”ルーツを辿るような展覧会であったように思えます。
まさに、内田あぐり氏の審美眼が光った企画と言っても良いでしょう。
「膠の旅の後で——表現の源流を探る・前編」では今回の展覧会に至った経緯や全体のコンセプトについて伺いました。後半では膠の魅力に惹かれてやまない内田氏の想いと、そのルーツを探ります。
——なぜ内田先生は日本画の道を志したのですか。
内田あぐり:10代の頃は油絵やデザインも勉強していたのですが……高校の美術の教科書がありますよね。
その美術の教科書に、当時は日本画が全然取り上げられておらず、唯一、最後のモノクロのページに小さく取り上げられているのが宗達の《風神雷神図屏風》画と雪舟の水墨だけでした。
もちろん、学校でも誰も教えてくれないから「これは一体なんだろう?」と思っていました。それで、どうせ勉強するのだったら誰も知らないことをやろうと、武蔵野美術大学の日本画学科に入学しました。
——本格的に日本画や膠に触れられたのは、入学後と聞きました。
当時、受験課題は鉛筆デッサンと着彩で、その着彩も仮貼り板(柿渋を塗ったもの)に画仙紙が貼られてたものを支持体に、顔彩や水彩絵具で描きました。鉢植えのパンジーが出題されましたね。入学後も1年間は水干絵具だけしか使わせてもらえませんでした。それも、植物写生だけを描き続けるというストイックな授業でした。
——そして麻田鷹司先生に出逢ったのですね。
内田:麻田先生からは色々な発想の原点になるようなことを教えていただき、ずいぶん影響を受けました。
麻田鷹司による作品群。箔を荒々しく削ったマチエールが特徴的。
——麻田さんの画材には、日本画の制作現場ではみかけないような絵筆もありましたね。
内田:不思議なカットをされた豚毛筆があったでしょ。
あれは絵具を塗るためではなく、箔を貼って、生乾きの時に硬い毛で箔のディテールを削ったり、研いだりするために使用していたそうです。
麻田先生は当時から独特な手法というか、技術を研究して駆使されてました。
麻田が使用していた油絵用の筆。生乾きの箔を上から擦りだしていた。
——会場で内田先生の試作も拝見しましたが、画面上で岩絵具のレイヤーを重ねたりなど、絵具のやりとりを沢山されていますね。
内田:自分では、そんな特別なことをしている意識はないんです。
今回展示した試作は、実は一枚絵を破って捨てようと思って、あそこだけ何故かきれいだなと思って切り取っておいたものなんです。
それを担当学芸員の大野さんに見せたら、面白いからぜひに、ということで。
私は人体表現の部分については絵具でマチエールを作り、その後にペインティンナイフで削ったり、たわしで洗ったりしているのですが、それ以外のところは基底材が見えるくらいに絵具の層は薄塗りです。そうした表現方法により、膠の濃度や分量などを変えています。
——まさに膠ならではの表現ですね。
内田:膠で溶いた岩絵具や顔料を使い描いてから「洗う」ことができるのは、なによりの膠の長所ですね。
洗う時に水やぬるま湯を少し絵の上にかけると膠分を含む絵具の層がちょっと柔らかくなって、元に戻るんです。それで絵具を洗ったり削ったりすることができる。柔軟性があるのですね。
そうした有機的な特性みたいなところが膠にはあるので、私はそれを表現の素として考えています。
内田氏による岩絵具と膠を用いた試作。
——今回展示されていた初期の作品にも有機性を感じました。
内田:ピュアというか無菌よりも不純物などの混じり気があったり、有機的なものがあったり、腐る要素がある方が信じられる。生命感が強い感じがするんです。
動物の体液がもつ、魅力かもしれません。そこがやっぱり信頼できるというか、その生命感によって”描かされている”気さえします。
ロール状で保管されている内田氏による1976年の作品。パネルから剥がし、丸めた状態でも大きなひび割れが起きていないのは、伸縮性がある膠ならではの特徴。パネルから剥がして保管する場合は絵を外側にして巻く、その際に画面に霧吹きで軽く水をかけて湿らせる。膠が柔らかくなり、外側に伸びる性格があるので巻くことができる。
——いい作品はよく朽ちていくという話もあります。
内田:そうね、腐る。生きているものは必ず腐りますから。
それは自然な流れであって、その中に日本画や膠の表現があるのかなって思っています。それが絶対ではないのですが、感覚的にはあるのかもしれません。
——今まで三千本膠以外に、どのような膠を試しましたか。
内田:妻屋の軟靭鹿膠というキューブ状の鹿膠と、三千本膠をブレンドして使用しています。それを使用してから凄く調子が良いです。
あとは、今回の研究でもお世話になった大﨑商店の膠がとても発色が綺麗なので、ここ数年は地塗りする時に使うこともあります。
大﨑商店製の膠。
——今回の展示を経て、今後やってみたいことや研究したいことはありますか。
内田:とにかくいい絵が描きたいな。本当にそれだけです。
——これからまた新しい膠のブレンドの発見もありそうですね。
内田:大﨑商店の古典的な製法で作った膠も使っているので、それでどういう表現になるか、しばらく続けて使ってみたいですね。
そこまでやらないと「膠を旅する」ことの結論が出てこないので。
まだ、これから行きたいところはいっぱいあります。そこで色々な発見が、まだきっとあると思うんです。旅の続きはするんじゃないかな。
会場壁面にインストールされた、さまざまな形をもつ膠。
——もし次に「旅」をするとしたら、どんな所に行ってみたいですか。
内田:そうですね、今回は楽器の製作所を訪れていないので、ヴァイオリンなどの製作や修復に膠を使っているそうなので、その場所へ行きたいですね。かつての日本の家庭で使われていた木製の家具などは膠で接着をされていたので、そうした木製の楽器修復を見てみたいです。また海外では、膠彩画にも興味を持っているので、台湾には膠を使った膠彩画を教えている大学があり、作家もいます。本当はこの研究では台湾や韓国もリサーチをしたかったです。
今日において、なかなか触れる機会が減ってきた膠ですが、歴史的なパースペクティブで見た場合、東洋はもちろん、西洋においても、切っても切り離せない関係を持っています。
国外では膠を絵画用途だけではなく、楽器や美術品の修復材料として、ときに狩猟で得た動物たちを有効活用する方法のひとつとして、その活路が見出されているとのこと。
これからも続いていくであろう、内田氏と膠の旅。次はどのような景色をわたしたちに見せてくれるのでしょうか。
彼女たちが歩んだ文化の轍が、忘れかけていた東洋を再発見する芽を育むかもしれません。
内田あぐりプロフィール
1949 東京生まれ
[近年の主な展覧会・プロジェクト]
2021膠を旅するー表現をつなぐ文化の源流(監修 武蔵野美術大学美術館・図書館)
2020-21内田あぐり VOICESいくつもの聲(原爆の図 丸木美術館)
2020 生命のリアリズム 珠玉の日本画展で内田あぐり特集展示(神奈川県立近代美術館 葉山)
2019内田あぐり 化身、あるいは残丘(武蔵野美術大学美術館・図書館)
2015私の素描のすべて(Gallery & Books ヴァリエテ本六)
2018開館1周年記念 佐久市立近代美術館コレクション+現代日本画へようこそ
(太田市美術館・図書館)
他個展、企画展、ワークショップなど多数。
[賞歴・グラントなど]
1993 文化庁在外研修員としてフランスに滞在
今日の日本画―第12回山種美術館賞展で大賞受賞
1999現代日本絵画の展望展で東京ステーションギャラリー賞受賞
2002第1回東山魁夷記念日経日本画大賞展で大賞受賞
2003-04武蔵野美術大学在外研修員としてアメリカに滞在
2019第68回神奈川文化賞受賞
2021第2回JAPA天心賞大賞受賞
展覧会情報
展覧会名「膠を旅する——表現をつなぐ文化の源流」
監修 内田あぐり(武蔵野美術大学 名誉教授)
会場 武蔵野美術大学美術館展示室4・5
会期 2021年5月12日(水)-2021年6月20日(日)
12:00-18:00(土曜日、祝日、特別開館日は17:00閉館)
休館日 日曜日 ただし6月13日(日)と20日(日)は特別開館日
URLhttps://mauml.musabi.ac.jp/museum/events/17269/
※新型コロナウイルス感染症の今後の拡大状況に応じて会期等が変更になる場合があります。
※6月5日より、【土・日のみ、完全予約制】にて一般(学外)への開館を再開します。詳細は公式webサイトでご確認ください。
※こちらの展示は終了しております。
関連書籍
内田あぐり 監修『膠を旅する』(国書刊行会,2021)
判型:B5変型判 ISBN:978-4-336-07184-2 ページ数:240 頁
(書き起こし:白石奈都子)
(文・写真:大矢享)