PIGMENT岩泉館長が語る硯の基礎知識

PIGMENT岩泉館長が語る硯の基礎知識

毎度好評いただいております『PIGMENT岩泉館長が語る基礎知識』シリーズ。今回のテーマは「硯」です。

みなさまは硯というと、どのような形のものを思い浮かべますか?小学校の頃に授業で使った四角くて、黒い、前方に凹みのある形状…というイメージをお持ちの方も多いでしょう。PIGMENT TOKYOでは、そういった形の硯だけではなく、様々な色、形、大きさのものを取り揃えております。本記事では、そんな硯の基礎知識について、岩泉館長にお伺いしました。




ーPIGMENTには真っ黒なもの、グラファイトのような黒、緑色のもの、白いものなど様々な見た目をした硯がありますね。形状も様々なものがあります。これら硯を、ざっくり大きく分けると何種類くらいに分類できるのでしょうか。

まず、硯には二大名硯と呼ばれるものがあります。それが端渓硯(たんけいけん)と歙州硯(きゅうじゅうけん)です。これが四大名硯となると前者に加えて、澄泥硯(ちょうでいけん)と、洮河緑石(とうがりょくせき)もしくは松花江緑石(しょうかこうりょくせき)が加わります。


―そういった分け方があるのですね。

この四大名硯という分類も諸説あります。採掘量の関係上、硯として流量が多いのは二大名硯の端渓硯と歙州硯です。澄泥硯と洮河緑石は、その採掘地が長らく不明であったり、製造方法などの情報が今日まで多く残されていなかったり、量の少なさ故、多く普及しておりません。また硯の性能としても端渓硯と歙州硯は、澄泥硯と洮河緑石よりも優れていることが多いため、当ラボとしては、二大名硯の端渓硯と歙州硯をお勧めしております。

―なるほど、それでは端渓硯と歙州硯それぞれの特徴をご教授願えますでしょうか。

抽象的に捉えるのであれば、端渓硯は女性的、歙州硯は男性的と言い伝えられております。それは、端渓と歙州を触った時の質感の差がある為です。端渓硯の触り心地は非常に滑らかで、歙州硯は鮫肌のようにザラザラしております。こうした質感の差から、このような例えがなされているのでしょう。



―これらの硯は、どういった場所から採掘されるのでしょうか。

PIGMENTで取り扱いのある硯は、全て中国から採掘されたものです。この硯の名称が、そのまま産地を示しているケースが多いです。端渓硯であれば、中国広東省肇慶市付近の西江の古名が由来であり、歙州硯の歙州はかつて中国に存在した州の名称で、現在は江西省婺源県歙渓という場所を指しています。また、洮河についても同様です。澄泥硯については、また別の語源があるのですが、原則として採掘された地域から硯の名称が決まります。


―なるほど、そういうことだったのですね。

はい。ですが近年、資源の枯渇等の理由により、こうした石が採掘できなくなっております。以前、中国のとある文房四宝店を訪れた際、歙州硯に近く良い石質の硯があり、その名称を職人の方に聞いたところ「学校の裏で採掘されたから学校裏硯だよ」と答えられたことがありました。硯はダイヤモンドなど同様、鉱脈から採掘されるものなので、どこにでもある石で作れる訳ではありません。まさに硯の名称が地名を表していることを示す、面白い出来事でした。


―端渓硯と歙州硯、それぞれの中でも違いはあるのでしょうか。

はい。牛肉や豚肉にもロース、ヒレ、タンなど様々な部位が存在しているように、端渓硯と歙州硯の中にも様々な区分が存在しています。例えばこの白端硯という硯、何から出来ていると思いますか?


―わからないですね。硯に適した特殊な石でしょうか。

これは組成的な観点でみると、大理石から作られています。つまり、トスカーナにあるカッラーラの大理石でも、硯が作れる可能性があるのです。その場合、カッラーラ硯という名前になるのかもしれませんね。我々が知らないだけで、もしかしたらイタリアだけでなく、フランスで端渓硯や歙州硯に近い石質のものが採れるのかもしれません。


https://pixabay.com/photo-3342518/


―日本にも様々な地域で硯が作られていますね。代表的なものはどこから採掘されるのでしょうか。

和歌山の那智から採れる那智黒、仙台は雄勝で採掘される雄勝硯、山口の赤間、そして一番有名なのは山梨から採れる雨畑硯などがあります。また、この雨畑硯ですが雨端硯と称するものもございます。これらは雨宮家が作ったもののみが「雨端硯」と名乗ることを許されています。


―なるほど、日本にも様々な種類の硯があるのですね。ではなぜ、PIGMENTでは日本の硯は取り扱いがないのでしょうか。

墨本来の発色を生かすためには、中国の硯に勝るものはないと私は考えております。もちろん、雨端硯なども含め国内にも良い硯は沢山あるのですが、私としましては中国産の硯をおすすめしております。


―その理由はなんでしょうか。

中国と一言に行っても北から南と、様々な地域がございます。その広大な地域の中で様々な石質のものが採掘される、というところが中国産の硯の一番の強みでしょう。また、先ほどお話したように硯も鉱脈から採掘されるものです。ダイヤモンドや金銀などは、全世界が総力を尽くして良質な鉱脈を探っているかと思いますが、硯の場合は採掘をしようとしていたのは主として中国、韓国、日本くらいです。そうした鉱脈を探る技術も中国が一番優れておりました。この中国産の硯が持つ魅力については、次回にお話させていただきます。


―では最後に、PIGMENTでは沢山の硯と墨が取り扱われておりますが、それぞれの墨の相性等はあるのでしょうか。

硯、墨といっても様々な種類がありますので、一言に「この硯とこの墨の相性が良い・悪い」というものはありません。しかし、ざっくりと言うのであれば端渓硯は油煙墨、歙州硯には松煙墨と相性が良いとされています。ただし、これも硯面の状態や墨の質によっても変わってくるという点はご留意ください。


―なるほど。他に気をつけるべき点などはございますか。

墨と硯には理想的な硬さについて、一定の法則がございます。まず、一番硬くあるべきなのは、硯の砥石です。硯を磨いたり、仕立てたりするためには、砥石よりも柔らかい石でなければ硯にすることができません。そして次に墨と硯の関係なのですが、墨は硯より柔らかくなくてはいけません。もし、硯よりも墨の方が硬い場合、硯面が傷ついてしまうためです。


―墨の中にも種類によって硬度が変わってくるのでしょうか。

基本的には、中国の墨の方が硬く、日本の墨の方が柔らかいです。その中でも中国産の古い松煙墨が一番硬く、その次に同じく中国産の油煙墨が硬いです。その次に、日本の古い松煙、油煙が続く形になります。

そのため、硯を長持ちさせるという観点からみると、柔らかい硯面で古い松煙墨を磨ってしまうと、硯が摩耗してしまう可能性があります。

もし硯や墨のお求めを検討されている方は、このルールを知っておくと参考になるかもしれません。


―墨と硯の世界は本当に奥が深いのですね。

そうですね。当ラボではお試し描きコーナーで様々な種類の筆と墨をお試し頂けますが、私が担当しております「日本絵画秘伝講座」の墨と硯を扱う回では、様々な種類の墨や硯をお試し頂けます。講座終了後、墨と硯のお求めをご希望の方には、私がご案内も致します。ご興味のある方は是非ご受講ください。


大矢 享

PIGMENT TOKYO 画材エキスパート

大矢 享

1989年東京生まれ。 日本大学大学院芸術学研究科造形芸術専攻博士前期課程修了。 PIGMENTにて画材エキスパートとして携わりながら、平面作品を中心にアーティスト活動中。

1989年東京生まれ。 日本大学大学院芸術学研究科造形芸術専攻博士前期課程修了。 PIGMENTにて画材エキスパートとして携わりながら、平面作品を中心にアーティスト活動中。