池永康晟の筆 — 太晟・康尖 —

池永康晟の筆 — 太晟・康尖 —

日本と西洋絵画の技法をリミックスし、女性像を描く池永康晟氏がプロデュースした2つの面相筆、「太晟(たいせい)」「康尖(こうせん)」が株式会社名村大成堂から2023年5月に発売されました。

開発から完成までの秘話と池永氏の思う理想の筆について、企画製作に携わった株式会社名村大成堂の石川久樹氏を交えてお話を伺いました。

 

 


インタビューに答える池永康晟氏


— 「太晟」と「康尖」を開発されたきっかけをお聞かせください。
池永康晟氏(以下、池永/敬称略):きっかけは2017年8月に開催されたPIGMENT TOKYO主催のイベントで、そこではさまざまな作家や画材メーカーが一堂に会していました。
私の画法に不可欠だったフナオカさん( *1 )もキャンバスの製造を辞めてしまった頃です。三千本膠も2011年になくなったり、メインで使っていた岩絵具も廃番になったりと画材の変革時期で、どうしたものかなと思っていた頃でした。
私は名村さんの筆を愛用していたので、そのご縁もあり会場で色々とお話をいたしました。
その時に、筆の原料である天然毛の入手が難しいという話を伺い、何か一緒に作れたら良いですね、となりました。
( * 1 フナオカキャンバス:日本画材工業株式会社が製造していた国産キャンバス)

 

 

— なぜナイロン毛に焦点を当てたのでしょうか。昨今の獣毛不足の影響もありますか。
池永:以前に使っていた他社のナイロン毛の筆が廃番になってしまい、使い勝手の良いナイロン筆が欲しいと思っていました。


石川久樹氏(以下:石川/敬称略):開発時点での最初のコンセプトは、若い作家の方々が使いやすいように安くできるか、というところでした。
池永さんが交流されている若い作家の方々にお話を聞いたところ、イタチ毛の価格が高騰し、品質に差が出ることを憂慮されていました。そのため、安定したナイロンの筆を作って欲しいというご要望をいただいたことがきっかけです。
また、池永さんはイタチ毛の穂先を切って使っているとのことでしたので、それも理由のひとつです。

 

ちょうど企画のお話をいただいた頃に、当社では水彩画筆のNorme(ノルム)を発売いたしました。
Normeで使ったナイロン毛でイタチ毛に変わるものにできないかと思い、最初にその試作から始まりました。

 

 


試作品の筆


— 完成までに苦労された点や、ポイントはありますか。
石川:池永さんは岩絵具でキャンバスに描かれているので耐久性も必要で、ナイロン筆の場合はその点も懸念事項でした。
耐久性について素材業者に相談したところ、ナイロンの場合は先が細いと曲がりやすく、難しいと言われました。ところが2〜3ヶ月後に、先方から「良いのができた」と連絡があり、思いのほか早く完成しました。それが、「康尖」の白いナイロン毛です。
その毛を使用したサンプルを作っては、試筆とフィードバックをしていただきました。それを繰り返し、およそ20本弱のサンプルを試作したのではないでしょうか。

 


康尖の穂

 

 

池永:「康尖」の穂はすぐにできたのですが、軸との相性が難題でした。

経験上、面相筆は穂首の根元にある筒の部分に水分が溜まり、竹軸ならば適度に先へ水分を補給しながら絵具がおりるのですが、穂と軸との組み合わせが悪いと一気に絵具が垂れてしまいます。

また、穂先にある命毛(穂の先端に出ている細い毛)は紙に字を書くときは必要なのですが、私のようにキャンバスの糸目を狙って描く場合は意図しない箇所に着地してしまうので不要です。そのため、私は穂先を切っていましたが、そうすると筆はすぐダメになる。

ですので穂先のまとまりを保持でき、狙ったところに穂の先がおける筆が欲しいと、お願いしました。

 

 


 太晟の穂

 

 

池永:「太晟」の毛( * 2)は実績があるものでしたので、こちらに関してはキャンバスの目に絵具を入れられるように、とにかく腰が強く、穂先が尖り、先が狙えるものをお願いしました。

( *2  使用毛:高機能ナイロン繊維「EXCLUSIVE SYN. SABLE(エクスクルーシブ センスティック セーブル)」)

 

— 金属軸にされた理由はありますか。

池永:獣毛だけでなく、筆軸に使う竹も原料不足の問題があると聞きました。

代替材料の選択肢のひとつにプラスチックがありますが、プラ軸では使っていてモチベーションが上がらない。

それ以外の代替品で木軸のサンプルもしばらく使っていたのですが、これがとにかく使い勝手が悪く、軸の汚れや穂との相性が悪かったんです。

そこで提案してもらったのがアルミの軸です。昔、文房具の仕入れの仕事をしていたのですが、その頃にアルミ軸の製図用シャープペンシルのブームがありました。

アルミの素材感も魅力だったと思うのですが、それに加えグリップが変わったりペン先が飛び出したり、何かしらギミックが付いていることも人々を惹きつけた理由ではないでしょうか。

それを思い出して、アルミ軸でいこうとなりました。太晟と康尖の軸をアルミ製にすると決まった時に、値段が高くなってしまうことがネックでした。しかし、せっかくなら持つ喜びのある美しいものを作ろう、となりました。

 

 

ー形状や太さへの思い入れはありますか。

池永:ただ、この軸は多くの面相筆と比べると細く、重い。少し違和感のある形をしています。他の作家に使ってもらっても「細い、重い」と言われるくらいなので、ご購入されたお客様からもそういう意見が出ると思います。そうすると「ラバーを巻いてみた」など、ギミックを考える方が現れるはずです。そのようにユーザーがカスタマイズしたくなる、美しく不完全でしかし持つ喜びのある形をめざして、軸の素材や太さとデザインを決めました。

アルミ軸は滑るのではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、摩擦係数が高いようであまり滑りません。そしてこの重さが線描のブレを軽減してくれます。

私はグリップ部分に養生テープを巻いて使って調整しています。

ちなみに、チラシも製図ペンのイメージでデザインしてもらいました。

 

石川:「康尖」のナイロン毛は新しい素材を使っているので、アルミ軸という新しい試みに対しても前向きにチャレンジしてみました。

開発当初はもう少し軸が長かったのですが、そうすると本体が重くなってしまったので若干短くしました。

また、この筆はS、M、Lサイズの展開を考案したのですが、Lサイズになると同じく重たくなってしまいました。併せて、Sサイズよりも尖った、更に細い穂先が欲しいとのご要望もあり、XS、S、Mサイズの展開に変更しました。



— 作品制作ではどのように、筆を使い分けていらっしゃいますか。

池永:あまり多種類の筆は使わず、1種類の筆を長く使っています。

私は臆病なので、ストロークを生かして描いたり、琳派のように画面上で絵具を動かしたりということはできません。基本は面相筆で描き、彩色筆も使いません。

一般的に彩色筆は穂の腹を使うのですが、私の場合はキャンバスの目があるので、先端のみ画面に対して垂直にして使います。穂先を使って彩色もできれば良いなと思っていました。

太晟はまさにハッチングの運筆で、彩色筆のように描くことができるので、たいへん重宝しています。 穂先で着彩でき、コントロールしやすく、絵具のおりも良いので気に入っています。

 

 

 

 

— 今回は面相筆をプロデュースされましたが、「線」を象徴的に使い始めたきっかけはありますか。

池永:よく聞かれますが実はそんなに線を大事に考えておらず、なるべく線はものを言わないでくれ、と思っています。

作画の際も抑揚をつけませんし、ストロークを生かした線が引けないので、私はある意味で「線のようなもの」しか描けません。しかし、もの言わぬ線もまた美しい線だと考えています。

 

 

システマティックに構成された池永氏のスタジオ 

 


— どのような経緯で現在の日本絵画のスタイルになったのでしょうか。

池永:元々は油絵画系の出身で、その頃は古典技法表現をやってみたくて、1枚の作品に出来る事や知っている事を全部詰め込もうとしました。ただ、そうすると制作がしんどくなってしまい、それで覚えたことを一度忘れないと描けないな、と思いました。

臆病がゆえに、自由度の高いものにはビビってしまいます。日本画の方式にハマったのも、当時の私にとって、最もどうすれば良いのかわからない画法だったからです。

勢いでワッと描いて、作品ができてしまうのが怖いんです。今の「キャンバスに岩絵具」という組み合わせは、一番前に進まない画法です。「これだけやって、これしかできない」という方が楽で、筆先がいうこと利いてくれないのもハマった理由です。

 

 

池永氏との取材風景


— 人物を描かれるようになったのも、その頃からですか。

池永:私は面倒くさがりで美術大学に行かず、写真の専門学校への進学を理由にして上京しました。

ただ、写真も外に出ていかないと撮れません。それも面倒だったんです。山を描こうと思ったら山に行かないとなりません。人間は周りに沢山いて、でも一番思い通りにならないからのめり込んだんです。

  

 

— キャンバスの絵肌も池永さんならではの趣ですが、目止め加工などはされていますか。

池永:泥絵具がキャンバスの目止めになっています。そのため、ゼリー強度の強い鹿膠じゃないと泥絵具は定着しません。

フナオカのキャンバスは麻糸の撚り(より)が強く、織りも緻密だったので、泥で薄く地を作るだけで、岩絵具を綺麗にのせられました。

今使っているものは撚りが弱く、織り目が荒いです。まるで寒冷紗のようになっているので、以前よりも多く絵具をのせないといけません。私の画法では扱いが難しいので、改善方法を模索中です。

 

 

— 地染めの表現はどのように生まれたのでしょうか。

池永:最初にこの肌色ができたのは偶然でした。

制作に行き詰まり、どうやって描いて良いのかわからなくなり、紙や板に描いたり、黄金背景に描いたり、様々な方法を試しました。

その時に、たまたまキャンバスに泥を刷り込んで、洗ったら膠が落ちてこのような色になりました。しかし、偶然できた色なので、どうやって出来たのかわからない。再現するのに10年くらいかかりました。

実は、途中で再現できていた筈なのですが、当時は最初にできた色を忠実に再現することに取りつかれてしまって。

ただ、印画紙を現像する時のデータの取り方と同じで、どのように作ったかレシピを記録してありました。繰り返し行うとある程度レシピが完成したので、その内容で制作し始めました。結果は暴れるのですが、それを許容することでようやく描けるようになりました。

今は、「こうしよう」とイメージしてから制作するよりも、このレシピならどのような結果が出るのか、という感じでやっています。

微調整を行いながら、毎回同じ方法で作っているつもりなのですが、作品により毎回微妙に違う色になります。

出てきた色に関しては、自分でジャッジすると先に進まないので見ていません。

岩絵具の重さを計り、このレシピなら上手くいくはずだ、と思いながら制作しています。

 

 

— 地染めの後は、どのように進めていますか。

池永:骨描きは半日程度です。

その後に使う絵具のほとんどはグレー系ですが、泥絵具も多く使います。

黒板にチョークで描いているような感じで、泥絵具で黒地を作ってその上に明るい色を乗せます。ベースが白地では、このような発色はしません。

私の趣味は間取り鑑賞なのですが、たとえば「モジュールをどう積み重ねると住みやすい団地や都市になるのか」というような、モジュールやレシピを考えることが好きなんです。

今回作った太晟と康尖も、交換時期をマスキングテープの色別で管理しています。

私のスタジオも写真の暗室をイメージして設計しており、モジュールやレシピへの美学が、制作にも強く影響していると思います。

 

 

池永氏が使用している筆

 

 

日本絵画系の作家に向けて企画がスタートした商品ですが、今では水彩系の方やモデラー、油絵系の方にも使われているそうです。

絵具の含みがよく細やかな線描と彩色にも対応できる太晟と、丈夫な筆でありながら、しなやかさと復元力を併せ持ち、繊細な表現も可能な康尖。

他の筆にはない、無骨でスタイリッシュなボディに自分に合わせたギミックで、ぜひお楽しみください。




また、当ラボでは、池永康晟氏が自身で使用する色をセレクトしたPIGMENT TOKYOオリジナル顔料セットも販売しております。

天然・新岩絵具を12色、24色セットです。

粒子の細かいラインナップを少量ずつご用意した、初めて岩絵具をお使いになる方にも使いやすいセットです。

「太晟」「康尖」と併せてこちらもぜひお試しください。

 

 

 

 

 


池永康晟(いけなが やすなり)IKENAGA YASUNARI


1965年大分県生まれ。

大分県立芸術短期大学付属緑丘高等学校卒業。自身で染め上げた麻布に岩絵具で描く美人画が、独特な質感と芳香を放つ。

文房具や本の装丁など海外からのオファーも多い。

2014年に刊行された画集「君想ふ百夜の幸福」はロングセラーを続けている。

スペイン、アメリカ、イタリアでの装丁画、ドイツでのラムダプリント、ロシアでの文具デザイン。

国内では、AKB48の横山由依写真集へ作品描き下ろし、浮世絵版画、ラブドールとのコラボレーションなど異色の展開をみせ、現代美人画シーンを牽引する。

WEBサイト https://ikenaga-yasunari.com/index.html

 

 


株式会社 名村大成堂
WEB サイト https://www.namura-tsd.co.jp/
ナムラ 太晟 https://www.namura-tsd.co.jp/taisei/
ナムラ 康尖 https://www.namura-tsd.co.jp/kousen/

Profile

白石 奈都子

Art Materials Expert at PIGMENT TOKYO

NATSUKO SHIRAISHI

Art Materials Expert at PIGMENT TOKYO Graduated from the Textile Design at Tama Art University. While she works as an art material expert at PIGMENT, she also continues her career as an artist of original paper, Japanese paper and calligraphy.

Art Materials Expert at PIGMENT TOKYO Graduated from the Textile Design at Tama Art University. While she works as an art material expert at PIGMENT, she also continues her career as an artist of original paper, Japanese paper and calligraphy.

大矢 享

Art Materials Expert at PIGMENT TOKYO

AKIRA OYA

Born in 1989 in Tokyo. Master of Fine Art and Design at Nihon University College of Art. While working at PIGMENT TOKYO as an Art Materials Expert, he also continues his career as a visual artist.

Born in 1989 in Tokyo. Master of Fine Art and Design at Nihon University College of Art. While working at PIGMENT TOKYO as an Art Materials Expert, he also continues his career as a visual artist.