ゴッホが愛した黄色

ゴッホが愛した黄色

「考えるな、感じろ」という名台詞があるとおり、美術作品の観賞のHow Toとして「見たままを自由に感じればいい」と語られることがあります。

私的な体験でいえば、かつてDIC川村記念美術館が所有していたバーネット・ニューマンによる大作、《アンナの光》を観たときは理論を超越した「色彩の美」を感じました。材料学のエキスパートが集まるPIGMENT TOKYOで、このようなことを語るのは少々はばかられますが、セオリーや絵画組成について考えず、素晴らしい絵画作品をただ眺めることは、なにものにも変えがたい体験です。

しかし、美しい山岳を眺めるように絵画を愛でることだけが、美術鑑賞ではありません。
時代の荒波を耐えぬいた名画と対峙するとき、「この色は何故こんなに綺麗なんだろう?」「この人は何を考えて絵を描いたんだろうか?」という疑問が浮かんでくることでしょう。この小さな疑問こそ、美術作品の理解を深めるための第一幕。「Don't Think. Feel!」の先にある、鑑賞の手引きをPIGMENT的な視点でご紹介いたします。

今回はフィンセント・ファン・ゴッホにフォーカスを当ててみましょう。

 

《Self-Portrait with a Straw Hat》Vincent van Gogh,1887,The Metropolitan Museum of Art

 

ご存知の方も多いかもしれませんが、ゴッホの画家としてのキャリアは決して長くありません。彼はまず、牧師としてキャリアをスタートさせます。文学と宗教に関心を持ちながら炭鉱労働者として働き、貧困に打ちひしがれながらも宣教活動を続けました。その後、仕事に挫折して画家としての人生を歩みはじめます。


ゴッホの作品群で目を見張るのは、その荒々しい筆跡ですが、彼自身が最も重要視していた絵画表現は、画面内における色彩表現でした。その裏付けとして、彼の画商でもあった弟に宛てた手紙には、自身の色の選び方や情緒的な意味に関する記述がたくさん残っています。
例えば1888年に描かれた《アルルの寝室》につい、彼は「ここで大切なのは色彩であり、色彩は単純化によってものにいっそう大きな様式を与えると同時に、ここでは一般に休息ないしは睡眠を暗示するものだ」(*1)と語っています。
同作品は病に倒れたのち、アルルのアトリエを離れ療養中に描かれたものですが、そのような状況でも「色」に思いを馳せる彼の姿勢には、尊敬の念に堪えません。

そんなゴッホの色彩を支えた2つの黄色がありました。
19世紀初頭に開発されたクローム系の黄色と、カドミウムイエローです。
前者はクロム酸鉛が主成分ゆえ、その有毒性から現在では入手することが難しく、他の色で代用されます。彼の情熱的な黄色の色彩は、近代以降に登場し、かつ今では使用されていない重金属系の絵具によって描かれていたのです。

「新しい絵具」を巧みに操るだけでなく、彼は絵肌にも並々ならぬこだわりを持っていました。このガッシュのような不透感のある肉厚な筆跡は、上記の絵具をはじめとする有彩色に、大量のシルバーホワイトやジンクホワイトを混色することで作られていました。

シルバーホワイトは乾燥が早く堅牢な性質を有した温かみのある白です。上層をしっかり受け止める長所があり、着色力が低いので、中塗りや混色用に適しています。
それに対し、ジンクホワイトは混色に向いた青みのある白です。顔料の性質ゆえ、上に塗る絵具層に亀裂や剥離を起すため、下の層には使用できない色です。つまり彼はこの2種類の白にさまざまな色を混ぜることで、堅牢なマチエールを作っていました。

また、ゴッホは自身が尊敬するドラクロワの色彩理論を発展させ、色彩の配置で画面を輝かせる方法を自分のものにしたとも言われています。
印象的な作風と、波瀾万丈な画家伝も相まって、エモーショナルな部分ばかり注目されがちなゴッホですが、その色彩表現と画面構成は知性と理念の積み重ねによって成立しているのです。

 

 

《Cypresses》Vincent van Gogh,1889,The Metropolitan Museum of Art

 

実際にゴッホが使っていたような材料で絵を描いてみたい方に向けて、いくつかの画材をご紹介します。
このクロムイエローに近い色が欲しい場合は「パーマネントイエロー」という色がおすすめです。
顔料の素材こそクロムイエローとは異なりますが、恒久性がクロムイエローより高いことから、このような名前が付けられました。

PIGMENT TOKYO「パーマネントイエロー」

カドミウムイエローは現在でも入手可能で、当ラボでは粉末状のものからチューブ絵具まで、さまざまな種類のカドミウムイエローをご用意しております。

PIGMENT TOKYO「カドミウムイエロー」


そのほかにもシルバーホワイト、ジンクホワイトのお取り扱いもございます。
当時と全く同じ素材を手に入れることはできませんが、これらの素材に触れて、彼の絵に思いを馳せてみるのも良いかもしれません。


引用
*1_高階秀爾『続 名画を見る眼』(岩波書店.1971) 54.

参考資料
・ジャンソン H. W. 『新版 美術の歴史 2』村田潔・西田秀雄 訳・監修(美術出版社.1990)
・ニコラウス K『絵画学入門』黒江光彦 監修. 黒江信子・大原秀之・訳(美術出版社.1985)
・城一夫 橋本実千代『色で読み解く名画の歴史』(パイ インターナショナル.2013)

・ホルベイン画材株式会社「色材の解剖学⑧ 油絵具のホワイト」
 https://www.holbein.co.jp/blog/art/a183
 (2023年12月25日閲覧)
・西日本新聞「【復刻連載】ゴッホの絵の画面は、なぜあれほど輝いているのか」
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/847961/
 (2023年12月25日閲覧)

大矢 享

PIGMENT TOKYO 画材エキスパート

大矢 享

1989年東京生まれ。 日本大学大学院芸術学研究科造形芸術専攻博士前期課程修了。 PIGMENTにて画材エキスパートとして携わりながら、平面作品を中心にアーティスト活動中。

1989年東京生まれ。 日本大学大学院芸術学研究科造形芸術専攻博士前期課程修了。 PIGMENTにて画材エキスパートとして携わりながら、平面作品を中心にアーティスト活動中。