絵絹のディテール

絵絹のディテール

日本の美術や文化において、主要素材のひとつである絹。
絵画作品の基底材として、東洋では古来、絵絹が使われてきました。
木版や麻布などに絵を描いてきた日本では、平安時代から絹布が普及し、絹の特性を活用した表現技法も発達してきました。当時の和紙に描かれた絵巻物をみると表面が煌めいていることがあります。これは絹の質感を模すために、和紙に雲母を塗布したことに依ります。
絵絹は格式高い素材でしたが、そのころ絹は貴重だったので、他の素材を使って再現していたようです。
今回は、東洋文化と共に発達した絵絹の種類やその基本の使用方法について、ご説明いたします。
 

素材
絵絹とは、絵を描くための絹布を指します。絵絹を基底材にした書画作品を絹本と言います。
蚕の繭から紡がれた動物性の糸を用い、主に精練されていない絹の生系で織られた生絹(きぎぬ)です。
衣服などで使用される一般的なシルク布よりも細糸で、メッシュが細かく薄手でありながら絹特有の光沢としなやかさを兼ね備えています。
色材や塗り方、使い方によって絹の素材感を生かした画面を表現できます。
描画用では、平滑な平織が主流で、経糸の本数によって厚みが変わります。なかには特殊な文様の入った綾織や繻子織(しゅすおり)が使われることもあります。
 


使用方法
日本美術の伝統的な手法においては、顔料や箔などを使用した作品で使われることが多く、絵絹のシアー感を生かした裏彩色や裏箔といった技法を用いることもあります。
表現方法にもよりますが、通常の描画等では木枠に張り、にじみ止め加工(ドーサ引き)を行います。
生絹を使用しているのでドーサを引かないと色材や水分が繊維に浸透し、描画がにじんでしまいます。
 
また、大変薄く劣化しやすいという面もあるので、安定保存のために裏打ちの処理が必要です。
なお、裏打ちを行う場合は水引きを行います。そのため、生の絹本に水引きを行うと、絵具や墨がにじんだり、流れる可能性が高くなります。裏打ちをされる方は、ドーサ後の描画を推奨いたします。
 


種類
PIGMENT TOKYOでは、3種類の厚さの国産絵絹をご用意しております。
生地幅は、日本の寸法表記「尺」(1尺:30.3cm)でサイズ換算され、いずれも3尺(≒90cm)、 2尺5寸(≒75cm)、2尺(≒60cm)の3種類。50cm単位でご注文ください。
※それぞれの厚さと透過性の効果は、PIGMENT TOKYO取扱商品における比較です。(2022年11月現在)
 


絵絹 三丁樋

厚さ:厚手
透過性/裏彩色・裏箔の効果:△
 
3種の中で最も厚手で張りがあります。
レイヤー効果は控えめですが素材感が最も感じられます。目が詰まっている分、表面が滑らかで筆先が引っかかりにくく、筆運びが良いです。グラデーションの表現(にじみ)にも適しています。
また、丈夫ですので大画面の作品を制作する場合は、こちらを使われることが多いです。
 

 

 



絵絹 二丁樋重目

厚さ:中厚手
透過性/裏彩色・裏箔の効果:◯
 
程よい強度と厚さを兼ね備えています。
そのため、比較的大きめの作品で裏彩色や裏箔を行う場合に適しています。

 

 

 



絵絹 二丁樋特上
 
厚さ:薄手
透過性/裏彩色・裏箔の効果:◎

薄手で透過性に長けており、レイヤーや裏彩色、裏箔の効果が最も表れます。
下の画像は洋金箔の箔押し紙の上に絵絹を重ねた状態ですが、織り目の隙間から金箔の輝きが感じられます。
 

 

 


【使用画材】
色材:墨、ZECCHI(ゼッキ)透明水彩絵具 ウルトラマリンブルー
基底材:絵絹 二丁樋特上
絵絹の下層:洋金箔(箔押し紙)
 

 


色材・メディウム(絵具)の相性
色材やメディウムと絵絹との相性は、種類により異なります。
定着性や保存性の優劣だけでなく、裏打ちの適否にも影響いたしますので、併せて制作のご参考にしてください。
 
— 色材・顔料
・岩絵具・新岩絵具
番手が大きい細目ほど定着性に優れ、7番以下の粗目は剥離しやすくなります。色や種類により粒子も異なりますが、下記の表を目安にしてください。
◎ 13〜白番
◯ 10〜12番
△ 8〜9番
╳ 5〜7番 
 


・その他顔料(ピグメント、エフェクト顔料など)
岩絵具同様に、粒子の細かいものを推奨いたします。
土絵具や水干などの板状に乾燥している顔料は、乳鉢などで細かくしてからメディウムと混ぜてお使いください。
エフェクト顔料や雲母などの粗目のものは、やはり定着しにくく、特に掛軸のように巻物は破損に繋がります。  


・墨(固形墨/松煙墨、油煙墨など)
煤と膠で作られた固形墨は、定着性や保存性に優れています。
ただし、裏打ちをする場合は特にしっかりと墨を磨らないと、描画が泣く(にじむ)のでご留意ください。また、磨ってから時間の経った宿墨も、膠による煤との結合力が落ち、定着性も低くなります。
展示や保管方法をご考慮の上、墨をお選びください。
 
・墨汁(糊剤:合成樹脂・合成糊)
合成樹脂を糊材とした墨汁は、固形墨と性質が異なります。
さらに、合成樹脂などを混合した墨汁は、定着性に個体差があります。特に裏打ちや表装を行う場合は、ご自身でテストをするなどご確認の上、ご使用ください。
 

 


— メディウム・絵具

・膠 
定着性、保存性ともに最も適しています。特に表装する作品との相性が最も良好な糊剤です。
膠は水との親和性がよく、温度により状態が変化します。低温だと固体、温度が上がるとゲル化、液体と変容します。
そのため、寒暖差と湿度変化のある日本において、掛軸での保管、裏打ちをする場合には最適な素材と言えるでしょう。


・アラビアゴム透明水彩絵具など
定着はしますが、乾燥後は固形化し、また水に溶ける性質があります。
そのため、水溶性のアラビアゴムは水を使う裏打ちや表装する作品には不向きです。


・アクリルエマルション/アクリル絵具、アキーラなど
絵具自体は耐水性、耐久性も良く、定着性に大変優れています。
その一方で乾燥すると固形化するので、裏打ちや表装する作品には適しません。
また、特に巻いて保管することが前提となる掛軸の場合は巻きしめることが難しく、丸めて保管するので絵具の割れる要因にもなります。


・オイルカラーメディウム、各種オイル/油絵具
定着はしますが、使用や長期保存の際には工夫が必要な色材です。
油染みによる作品の破損や劣化、乾燥後に固形化するのでアクリル絵具同様に表装はできません。
 


張りこみ

木枠に張ることで、描画がしやすくなるだけでなく、透けて表裏が見える特性を生かした技法が行えます。
最もその透過性を効果的に利用した技法は、裏から彩色や箔を施す、裏彩色と裏箔です。絹目を通した色彩や箔の輝きは和らぎ、落ち着きのある表現に導きます。
それ以外にも、張り込んだ絵絹は描画面がどこにも張り付かず、ピンと張った浮いている状態となり、水の力を利用した境界線のないグラデーション(にじみ)が容易になります。
また、下絵が透けるので、絹への下書きをせずに制作できることも利点です。
 
では、木枠に張りこんでみましょう。
 
 
— 用意するもの


画像左:木枠、絵絹
画像右:(右上より)ヘラ、鋏、画鋲、固糊(でんぷん糊)、ペーパーパレット
 


・絵絹
内枠内に描画を施します。張り込みの際に余白部分も必要になるので、必要な描画面(作品)のサイズより余裕をもってお求めください。
木枠より少し大きく裁断すると、生地の張りを調整しやすいです。
なお、生地の左右にある耳の部分は歪みがあるので、耳に対し等間隔で切込みを入れるか、両端をカットするなど下処理をしてください。

 


 


・木枠
木製のキャンバス枠や絹枠などをご用意ください。
なお金属製の枠は、でんぷん糊が固着しません。
内枠内が描画面になるので、内枠のサイズを必ずご確認ください。


・画鋲
絵絹を木枠に張り込んだ後、乾燥中に絵絹が動かないよう固定するために使用します。
数量の目安は、F3(273mm×220mm)サイズの木枠で50個程度とお考えください。
 
・固糊
生麩糊を炊いたものか、接着成分の入っていない市販のでんぷん糊(障子糊など)をベースにして、固糊を作ります。
接着成分やアクリル等が入っている糊は、枠から剥がれにくくなり作品の破損にも繋がりますので、お気をつけください。
 
・ヘラまたは糊刷毛
糊を塗る時に使います。絹の張り込みには指を使うことが標準なのですが、ヘラだと適量を塗ることができ、また後片付けも楽なのでおすすめです。
ヘラは、素材やサイズも使いやすいもので大丈夫です。
 

糊刷毛は、固糊を練る、塗ることに適した刷毛を使います。付け廻し刷毛は細かい作業にも向いており、絹本の裏打ちをされる方にはベストアイテムです。

 

裏打ちや固糊の作り方、刷毛については、こちらの記事で詳細を記載しております。併せてご参照ください。

 

 

 

 

 

 

・ドーサ溶液

にじみ止め加工(ドーサ引き)を行う時に使います。
ゼリー強度が高い「板膠 豚由来(ドーサ向き)」は、ミョウバンを使わずににじみ止めの効果が得られます。


こちらの膠でドーサ溶液を作る場合は、膠を溶解し、1.5〜2%に希釈した溶液をドーサ液として使用します。
淡色なので、画面の色味への影響も最小限に抑えられます。加えて薄いので、膨潤や溶解も一般的な膠より短時間で行えます。
また、劣化の要因にもなるミョウバンを使用せずともサイジング効果を得られるので、長期保管する作品にもおすすめです。
 
下の画像は、墨と水彩絵具をドーサの有無によるテストをした絵絹です。
ドーサ引きを施した方は、彩色や線描、筆触も鮮明になりました。特に、薄墨は膠の濃度も薄いので、ドーサをしないと繊維に墨が広がり、にじみます。
ただし、ドーサはその時の気温や湿度など環境によっても効きが異なります。絵絹の種類や表現によっても濃度や塗り方は変わります。上記の膠濃度等は目安とし、ご自身の表現に合わせてご調整やテストをしてください。

 

 
【使用画材】
色材・メディウム 
 ドーサなし:墨、ZECCHI(ゼッキ)透明水彩絵具 ウルトラマリンブルー
 ドーサあり:墨、ZECCHI

(ゼッキ)透明水彩絵具 ウルトラマリンブルー
基底材:絵絹 二丁樋特上
 


・ドーサ刷毛
ドーサ引き用の刷毛をご用意ください。
玉厚のドーサ刷毛は、たっぷりとドーサ液を含ませることができるので、しっかりと基底材に浸透します。

 

 

— 手順

では、木枠への張りこみ方の手順をご説明いたします。

 

① 木枠に固糊をつけて乾燥させる(捨て糊)
木枠に固糊をつけて乾燥させます。ヘラまたは糊刷毛で引いてください。
これは、新しい木枠は糊を吸収するので、接着力を強くするために予め糊をつけておく、捨て糊の工程です。以前から使っている木枠であれば、この工程は省いてください。
なお、キャンバス枠の場合は、平らな裏面に塗ってください。
 

 

② 木枠に固糊をつける
木枠に固糊をつけます。
糊は枠の内側から数ミリ残してつけ、描画面に糊がはみ出ないようにします。

 

 

③ 絵絹を置く
絵絹を置きます。糊が乾かないうちに、素早く置いてください。
画面に対し、絹が巻いてある(裁断面のある)方向を上下、緯糸の耳を左右にしておくと、軸装がスムーズに行えます。作品をパネル貼りする場合は、上下左右は気にせずに制作して大丈夫です。
 

 


④ 絵絹の上から糊をつける
絵絹の上からヘラで糊をつけます。②と同じく、内側から数ミリを残します。

 

 


⑤ 画鋲を打って固定する
シワにならないように絵絹をひっぱりながら、画鋲を打ちます。
こうすることで、乾燥中に絵絹が動くのを防ぎ、ピンと張った状態を保てます。
絹のシワやツレがあるところのテンションを調整しながら、画鋲を打つと良いでしょう。

 

 

⑥乾燥
乾燥させます。
 

⑦ 画鋲を外す
糊が乾いたら、画鋲を外します。
乾くとツレやシワが無くなり、張りのある状態になります。これで張り込みは完了です。

 

⑧ドーサを引く
糊が乾燥したら、描画面(内枠内)にドーサを引きます。
刷毛にたっぷりとドーサ液を含ませて引いてください。
ドーサが乾いたら描画できます。
 
張り込みの固定力を強くしたい方は、絵絹と木枠の接着面に水張りテープを貼って補強してください。絵絹が外れにくくなるので、安心して制作できます。
木枠から絵絹を外す時は、剥がす、または内枠のところでカットします。
剥がす際は、強く丸めたり折ったりすると描画の絵具や箔などが割れる可能性がございますので、お気をつけください。



動画で同じ手順をご覧いただけますので、ご参照ください。

 

 

 

また、こちらの記事や動画でも絵絹についてもご紹介しております。

【ARTICLES】絵絹を楽しむ 〜半透明の美〜

【IGTV】絵絹 / Silk Painting https://www.instagram.com/tv/CK0kytgiy3Q/

 

 

繊細で品のあるシルクの美しさは人々を魅了し、日本の文化や生活に寄り添ってきました。時代を超えても伝統的な技法はリベラルな表現につながるかもしれません。

 

 

 

参考資料

京都都表装協会 編『表具の事典』(京表具協同組合連合会 2011年)

Profile

白石 奈都子

PIGMENT TOKYO 画材エキスパート

白石 奈都子

多摩美術大学染織デザイン専攻卒業。オリジナルの紙や和紙、書を主体とした制作に携わり、現在はアーティストとして活動中。

多摩美術大学染織デザイン専攻卒業。オリジナルの紙や和紙、書を主体とした制作に携わり、現在はアーティストとして活動中。