「膠を旅する——表現をつなぐ文化の源流」展示レポート

「膠を旅する——表現をつなぐ文化の源流」展示レポート

膠とは獣や魚類の皮、骨などを煮詰めた液を冷まし、ゼリー状になったものを乾燥させた糊材です。膠を使用する際は、水に漬けて温めることで適度な粘度と接着性を有する液体になります。日本絵画では顔料を画面に定着させるためのメディウムとして、また油絵・テンペラ画などでは下地の白を練り合わせるためのバインダーとして今日も用いられています。

 

離れがたい親密な交情を意味する慣用句として「膠漆(こうしつ)の交わり」という言葉があるように、膠という素材は美術史と切っても切り離せない親密な関係があります。

その歴史は非常に古く、20000年前のフランス・ドルドーニュに遡ります。我々の祖先であるクロマニヨン人は、動物の血液や油分、植物性の樹脂を用いて、洞窟に壁画を残しました。

これが現代における膠に相当すると言い切るのは逸言ですが、少なくとも世界最古の絵画が動物性のタンパク質を糊材として用いられたことは確かです。

 

また、その用途は絵画のメディウムだけに留まりません。

例えば膠は絵画用途だけでなく、接着剤としても使われています。その証左として1952年初版の東京堂「日本美術辞典」では、膠について「木工の接着剤とし、東洋画における絵の具の媒介として用いる。」と記載されています。

合成樹脂の接着剤や木工用ボンドが台頭した現在では膠=接着剤という結びつきは薄いかもしれませんが、美術辞典においても、絵画用途より先に接着剤としての役割が記されているのは驚きです。

 

 

こうした膠について、武蔵野美術大学は2017年から3年間、「日本画の伝統素材『膠』に関する調査研究」という共同研究を行い、画家や研究者たちとともに現地調査や研究を重ねました。

そして2021年5月より同年の6月まで、その研究結果の集大成ともいえる展覧会が、武蔵野美術大学 美術館·図書館で開催されています。

 

ふたつの展示室を利用して展開されたこの企画は、単なるリサーチの成果発表や資料としての側面だけでなく、今回の展示を監修した画家で武蔵野美術大学名誉教授である内田あぐり氏監修による、アーティストの審美眼が光る企画展です。

 

この“旅”は、まるでインスタレーション作品のような展示空間から始まります。

 

 

 

こちらでは、調査に同行した写真家の内田亜里氏による写真や映像と併せて、多種多様な膠素材や原料となる牛や鹿の皮、実際に工場で使用されている道具類などの実物資料が展示されています。

 

最初のセクションでは、画家たちのアトリエを想起させる画材が陳列されています。

これらは、実際に絵画用として用いられいる様々な種類の膠をはじめ、画家の麻田鷹司が使っていた35年前の岩絵具の絵皿や原画、習作などをディスプレイしています。

 

さまざまな種類の膠。牛由来、鹿由来、さらには魚由来のものなど、ひとことに膠といっても沢山の種類があります。

 

 

麻田のアトリエで保管されていた画材。同氏は1987年に亡くなったものの、現在でも絵皿には膠と練り合わせた時の指の跡などが残り、しっかりと皿についたまま剥落もせずに遺っています。

 

 

雲肌麻紙を基底材に、粒子の荒い岩絵具、墨、楮紙を紙縒で縫い合わせるなど、内田のコラージュ的作品断片からも多様な表現が可能なことが理解できます。膠というメディウムが発色においてどのような魅力を持っているか、また粒子の荒い岩絵具がしっかりと定着していることを間近に感じることができます。

 

 

中央に進むと、目に飛び込んでくるのは様々な形をした膠の原料。ここでしか見ることのできない素材を一望することができます。

 

同美術館学芸員の大野智世氏。(写真右)

絨毯のように積み上げられた大きな牛の乾皮を前に、今回の展示コンセプトの説明を受けました。

 

 

巨大な牛の乾皮と乾燥作業用の木枠。木枠は皮を板張りした無数の釘の跡が残ります。

 

 

天井に吊るされた鹿の乾皮。

 

 

この企画展は、膠における材料学的な知見を追う展示であると同時に、その民俗学的なルーツを辿る旅でもあります。

ロシアや中国に居住する、北方少数民族のナナイ族を出自にもつアーティストによる魚皮を用いた作品や、アイヌの人々による鮭皮でつくられた靴が展示。

かつて生活と皮革文化がいかに深く結びついていたかを、知ることができます。

 

 

A.P.ドンカーン《シャーマンの衣装》1998,文化学園服飾博物館蔵

ナナイ出身のアーティスト、A.P.ドンカーンによる魚皮衣など。現代的なデザイン性を取り入れながらも、伝統的な装飾品やパターンがあしらわれている。

 

 

《チェプケリ》公益財団法人アイヌ民族文化財団蔵

(※プとリは捨てかな表記)

鮭の皮を加工してつくられた靴。鮭皮をなめさず、乾燥した皮を水やぬるま湯に浸けて柔らかくし、植物性の糸で縫製しています。

 

 

膠を用いた絵画表現の一例として、同美術館の所蔵品を中心とした展示が行われていました。

 

丸木位里・丸木俊《原爆の図 高張堤灯》1986,武蔵野美術大学 美術館·図書館蔵(写真左)

麻田鷹司《牛舎》1952,武蔵野美術大学 美術館·図書館蔵(写真右)

 

 

とりわけ、丸木位里・丸木俊による《原爆の図 高張堤灯》は今回の共同研究をきっかけに、大阪人権博物館の移転とともに2020年に武蔵野美術大学美術館・図書館へ寄贈された作品とのこと。今回の展示に合わせて、画面の細かな亀裂を膠を用いて修復されました。

 

描画素材としての魅力、旅を通した大阪人権博物館との出会い、そして可逆性がある接着剤としての機能という、膠の様々な側面を我々に提示してくれたこの作品は、まさに今回の展覧会におけるひとつの答えと言えます。

 

丸木位里・丸木俊《原爆の図 高張堤灯》1986,武蔵野美術大学 美術館·図書館蔵(部分)

 

 

こうして、膠をめぐる旅は終着駅と向かいます。

三省堂「全訳漢海(第三版)」によれば、“旅”という漢字は「ともに、いっしょに」という意味があるといいます。

この「膠を旅する」は、本邦におけるメディウムのあり方を俯瞰した巡礼であると同時に、動物と”とも”に生きていた過去と今を繋ぐ、ひとつの物語であったようにも思えます。

 

時代の変化や皮革産業の衰退に伴って、その存続が危ぶまれている膠。

しかし、これらを私たちの矜持として共に寄り添い、そして旅を続ける限り、きっとこの文化は続いていくことでしょう。

 

 

 

展覧会情報

 

展覧会名「膠を旅する——表現をつなぐ文化の源流」

監修 内田あぐり(武蔵野美術大学 名誉教授)

会場 武蔵野美術大学美術館展示室4・5

会期 2021年5月12日(水)-2021年6月20日(日)

12:00-18:00(土曜日、祝日、特別開館日は17:00閉館)

休館日 日曜日 ただし6月13日(日)と20日(日)は特別開館日

URLhttps://mauml.musabi.ac.jp/museum/events/17269/

 

6月5日より、【土・日のみ、完全予約制】にて一般(学外)への開館を再開します。詳細は公式webサイトでご確認ください。

 

※こちらの展示は終了しております。

 

 

 

 

関連書籍

 

 

 

内田あぐり 監修『膠を旅する』(国書刊行会,2021)

判型:B5変型判 ISBN:978-4-336-07184-2 ページ数:240 頁

 

 

(文・撮影:大矢享)

Profile

大矢 享

PIGMENT TOKYO 画材エキスパート

大矢 享

1989年東京生まれ。 日本大学大学院芸術学研究科造形芸術専攻博士前期課程修了。 PIGMENTにて画材エキスパートとして携わりながら、平面作品を中心にアーティスト活動中。

1989年東京生まれ。 日本大学大学院芸術学研究科造形芸術専攻博士前期課程修了。 PIGMENTにて画材エキスパートとして携わりながら、平面作品を中心にアーティスト活動中。