2021年5月より同年の6月20日まで武蔵野美術大学 美術館・図書館にて開催されている「膠を旅する——表現をつなぐ文化の源流」展。
当企画は、絵画材料としての膠という側面だけでなく、その素材が持つ歴史や、暮らし、民俗学的な文脈など、本邦における皮革産業の一面を垣間見ることができる展覧会となっています。
監修をされたのは武蔵野美術大学名誉教授の内田あぐり氏。
自身も画家として長く制作で使用している膠を、何故このタイミングで改めてリサーチをしようと思い、そしてどのような経緯で今回の企画が生まれたのか、オンライン通話を使用して内田氏に伺いました。
——当展示は資料的価値もさることながら、まるでインスタレーション作品のように美しい展示空間を作られていましたね。
内田あぐり:ありがとうございます。三千本膠や皮の素材自体が素晴らしいので、作品としてより美しく見られることで、身近に綺麗に見えるのではないかと思いまして。また、実際の現場の雰囲気が伝わるようにも考えました。
それで今回のような発想に至り、担当学芸員の大野智世さんと一緒に考えながら展示を作りました。
インタビューに応じる内田氏(画像左)とPIGMENT TOKYOの大矢(写真右)
——牛皮が吊るされた鉄骨も凄い迫力でした。
内田:でしょう?。あれも大﨑商店の工場で、実際に赤い鉄のスチールに木枠に貼られた皮を吊るしています。
現場で「これを展示してみたいな」と思っていたら、大野さんや他のスタッフが「やりましょう」と言ってくれて、彼女達にお任せした結果、実現できました。
会場のインストールは私の個展や展覧会も手伝って頂いているスクエア4に依頼をしたのですが、彼らは設営はもちろん造作物のセンスがとても良いんです。
巨大な牛皮と構造体を前にするPIGMENT TOKYOの白石(写真左)と武蔵野美術大学 美術館・図書館学芸員の大野氏(写真右)。
——そもそも、今回の企画はどのような経緯で始まったのでしょうか。
内田:私は50年以上、三千本膠を使っていたのですが、ずっと「三千本膠って何かな?」と疑問に思っていたんです。そして10年くらい前に、その膠を作っていた業者が廃業してしまいました。
そうした状況を受けて、膠が持っているルーツというか民俗学や歴史的な視点から、この素材を極められないかなというのを考えていました。
武蔵野美術大学には「武蔵野美術大学共同研究」という3年間活用できる助成制度があり、それを利用して2017年頃から研究を始めました。
リサーチを進めるにつれ、非常に膠に長けている若い研究者や写真家が凄く協力してくれて、彼らと一緒にチームKAWAというユニットを作ったりして続けました。やるんだったら楽しくしなきゃって(笑)。
——工場の写真もとても綺麗でした。
内田:ありがとうございます。娘の内田亜里が写真家で、手伝ってくれるかと聞いたところ「自分も興味がある」ということで、3〜5年くらい、彼女に写真と映像をやってもらいました。
会場に設置された内田亜里による作品群。
——今回の展示と書籍ができるまでは、どのくらいの歳月を要しましたか。
内田:本格的に研究がスタートしたのは2017年からで、共同研究は3年間しかできなかったのです。当初は書籍化の予定はなかったのですが、研究の成果をまとめた報告書のファイルをその都度作って大学へ提出していました、その報告書をご覧になった国書刊行会の担当の方が、この研究が大変面白いと強く興味を持ってくださいました。それをきっかけとして書籍の製作や編集が始まったのです。トータルすると4、5年の歳月はかかっていると思います。ですので、はじめに書籍の構想があり、その構想や内容と交差をしながら展覧会が作られていった、という感じですね。
膠という途絶えつつある文化が本を通して再認識してもらえる機会を得られたのは、素晴らしいことだなと思っています。
内田あぐり氏 監修『膠を旅する』の書影。
——研究と併せて丸木位里・丸木俊の《原爆の図 高張堤灯》の修復したと聞きました。どのような経緯で丸木の作品と出会ったのですか。
内田:私は丸木位里・俊の作品が好きで、特に沖縄県の佐喜眞美術館に収蔵されている「沖縄戦の図」という巨大な(400×850cm)の作品は、強く魅かれるものがありました
また、沖縄という土地そのものも、定期的に制作の取材をする大事な場所なので、沖縄へ
行くたびにこの作品を観ていました。
大阪人権博物館(大阪府)にも、丸木夫妻の作品や膠を作る道具が収蔵されているということで、取材をさせてもらったんです。そこで出会ったのが《原爆の図 高張堤灯》でした。
丸木位里・丸木俊《原爆の図 高張堤灯》1986,武蔵野美術大学 美術館·図書館蔵
——大阪人権博物館にも丸木夫妻の作品が。
内田:元々、この《原爆の図 高張堤灯》には膠が原因の亀裂が発生していたんです。当初はその調査が目的だったのですが、その後に大阪人権博物館の閉館が決まりました。それを受けて、この作品を武蔵野美術大学の美術館が譲り受けることになったんです。
大阪人権博物館は素晴らしいコレクションをいっぱい持っていたのですが、クローズにななってしまい、とても残念です。
(*2022年に場所を移転して再開館の予定。)
——「旅」を経て、美術館に作品がたどり着いたわけですね。
内田:その後、今回の研究に関わられた皆様が、膠だけのことだけではなく《原爆の図 高張堤灯》のことも心配してくれて、その結果、保存修復技術者の方に、絵具が剥離した箇所の修復をお願いすることになりました。
本当に色々な方々がこの研究に関わってくださり、協力をしてくださったおかげだと思っています。
——素材、歴史、民俗学というキーワードを横断的に思考できる展示になってますね。
内田:民俗学者の宮本常一さんが武蔵美の先生だったのですが、そんなこともあり影響を受けているかもしれません。
本当に、自然な流れと言いましょうか。最初はそういう日本の風土的なところから「膠が生まれた背景や歴史を見てみたい」という、ただそれだけのことだったんです。それが現場への取材を通して、こういう風になってしまった、自然の流れの中でですが(笑)。
大﨑商店で実際に使用している膠の金網台。ここでゼリー状の膠を乾燥させる。
——あの大きな樽状の器具は初めて見ました。
内田:あの中に皮を入れて水洗いをしたり薬品処理したり、ぐるぐるぐるぐる回ったりします。昔は、もっと大きなタイコを使っていたっていうから、すごいですよね。
木製の樽状回転機“タイコ”。大量の水と皮を投入し、皮革製造のさまざまな工程で用いる。
——皮革産業はもちろん、そこに関っている方がどれだけ尊いかを身をもって体験できました。
内田:本当にそうですね。今回の展示を通して、ちょっとでもその現場を知っていただけたら、嬉しい限りです。
「膠を旅する——表現をつなぐ文化の源流」は、今日における皮革産業のあり方を提示するだけなく、人と人、モノとモノを繋ぐリレーショナルな状況を描いた展覧会でした。
ではなぜ、彼女たちはここまでの情熱をもって膠のリサーチに至ったのでしょうか。
インタビュー後半では、内田個人史としての視点も踏まえて、ひとりのアーティストが膠と出会い、魅せられるまでを追います。
内田あぐりプロフィール
1949 東京生まれ
[近年の主な展覧会・プロジェクト]
2021膠を旅するー表現をつなぐ文化の源流(監修 武蔵野美術大学美術館・図書館)
2020-21内田あぐり VOICESいくつもの聲(原爆の図 丸木美術館)
2020 生命のリアリズム 珠玉の日本画展で内田あぐり特集展示(神奈川県立近代美術館 葉山)
2019内田あぐり 化身、あるいは残丘(武蔵野美術大学美術館・図書館)
2015私の素描のすべて(Gallery & Books ヴァリエテ本六)
2018開館1周年記念 佐久市立近代美術館コレクション+現代日本画へようこそ
(太田市美術館・図書館)
他個展、企画展、ワークショップなど多数。
[賞歴・グラントなど]
1993 文化庁在外研修員としてフランスに滞在
今日の日本画―第12回山種美術館賞展で大賞受賞
1999現代日本絵画の展望展で東京ステーションギャラリー賞受賞
2002第1回東山魁夷記念日経日本画大賞展で大賞受賞
2003-04武蔵野美術大学在外研修員としてアメリカに滞在
2019第68回神奈川文化賞受賞
2021第2回JAPA天心賞大賞受賞
展覧会情報
展覧会名「膠を旅する——表現をつなぐ文化の源流」
監修 内田あぐり(武蔵野美術大学 名誉教授)
会場 武蔵野美術大学美術館展示室4・5
会期 2021年5月12日(水)-2021年6月20日(日)
12:00-18:00(土曜日、祝日、特別開館日は17:00閉館)
休館日 日曜日 ただし6月13日(日)と20日(日)は特別開館日
URLhttps://mauml.musabi.ac.jp/museum/events/17269/
※新型コロナウイルス感染症の今後の拡大状況に応じて会期等が変更になる場合があります。
※6月5日より、【土・日のみ、完全予約制】にて一般(学外)への開館を再開します。詳細は公式webサイトでご確認ください。
※こちらの展示は終了しております。
関連書籍
内田あぐり 監修『膠を旅する』(国書刊行会,2021)
判型:B5変型判 ISBN:978-4-336-07184-2 ページ数:240 頁
(書き起こし:白石奈都子)
(文・写真:大矢享)