膠とは、日本画をはじめとする絵画制作に欠かすことができない素材です。その起源は古代エジプトをはじめとして、長く接着剤として利用されてきました。日本における膠の使用については、現存最古の分類体漢和辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』の十五巻に、記載があります。これは和漢学者、源順(みなもとのしたごう)が平安時代(*1)に編纂し、のちの時代(*2)に写本されたものが、文化遺産として国内の美術館に収蔵されています。
(* 1 794年〜1185年)
(* 2 室町時代後期、1566年)
PIGMENT TOKYOではオリジナルの膠として、数種類取り扱っております。
牛の生皮を使用して和膠に近い特性になるよう作られた顆粒状の膠にはじまり、その膠をオリジナルレシピで溶解した牛膠溶液、ドーサ引きでミョウバンなしで使用できる膠など、他の画材店では販売してないようなものを多数ご用意しています。
詳しくはこちらのリンクをご確認ください。
そのほかにも牛の乾皮(太鼓の皮)を使用して1ロットごと手作りでつくられた牛由来の和膠や、魚の皮を使用して同じくロットごと手作りされた魚由来の和膠など、プロフェッショナル向けの商品もご用意しています。(こちらはロットごとに物性値が変化します。ご了承ください。)
これらの商品の製造を一手に引き受けているのが、兵庫県姫路市にてゼラチン・コラーゲンペプチドの製造をする宏栄化成株式会社です。
兵庫県のなかでも、姫路市は日本における「皮なめし発祥の地」として知られており、例えばゼラチンは国内の約25%、コラーゲンペプチドは50%、膠は100%を同県で生産しています。
宏栄化成株式会社公式ホームページより
今回、当ラボは姫路市の宏栄化成株式会社を訪問し、代表取締役社長の福島隆氏に膠の概要や、それを取り巻く状況、同社の膠にについてお話を伺いました。
悠久の時より皮革・ゼラチン産業が発展してきたこの土地で事業を続ける同社は、時代の変化にどのように対応してきたのでしょうか。
ーはじめに、宏栄化成株式会社について伺います。どのような商品を作られているのでしょうか。
福島隆氏(以下:福島/敬称略):1938年に創業し、「あぼしにかわ」の製造を始めました。1958年には洋膠、そして1978年にはゼラチンの生産を開始しました。
その後、2003年よりコラーゲンペプチドを製品化し、現在は、主にコラーゲンペプチドやゼラチンを作っています。当社の商品は、健康食品や食品添加物に用いられることが多いです。
お話をしてくださった代表取締役社長の福島隆氏(右)と、同席された営業部営業課課長の福島拓也氏(左)
ーWebサイトを拝見すると、いろいろな商品を作られていますが、具体的に何種類くらいの動物の原料を扱われていますか。
福島:牛はもちろん、豚や猪や鹿、タラやタイ、なまず、くじら等々、製品化に至らなかったものも含め、十数種類の原料を扱ったことがあります。
サンプルで作ったという猪膠
ーコラーゲン、膠、コラーゲンペプチドの境界はどのようなものでしょうか。
福島:まずは水に溶けるか、溶けないか、そして冷えて固まるか、固まらないかで区別することができます。例えば全ての原料となるコラーゲンは常温の水に溶けませんが、加熱することで水に溶けやすい水溶性のタンパク質に変わります。これがゼラチンや膠と呼ばれる状態です。
これらの最大の特徴は温めると溶け、冷やすと固まることです。これを「ゾル化・ゲル化」と言い、可逆的に行える性質が商品にも生かされています。
このゼラチンに酵素を加え、より細かくしたものがコラーゲンペプチドです。コラーゲンペプチドはゼラチンより分子量が小さく、水には溶けますが、ゼラチンのように冷えても固まりません。そのため、サプリメントや飲料水によく用いられます。
コラーゲンがゼラチン(膠)を経由してコラーゲンペプチドとなる図
ー画材用の膠はどこに分類されるのでしょうか。
福島:画材としての販売はかなり少ないです。ほぼ「その他」に含まれると言って差し支えないでしょう。PIGMENT TOKYOに卸しているものを中心に、小規模で製造しています。また「膠」としては研磨剤用途の膠を輸入販売しています。
市販の紙やすりも、膠を使って接着されている。合成樹脂による代替も検討されたが、膠に勝るものはなかったという
ーゼラチンと膠の違いを教えてください。
福島:高度に精製されたものがゼラチンで、精製度の低いものが膠に相当します。
当社では食用ゼラチン・コラーゲンペプチドの製造を行うため、2000年にシェービング原料の取扱を中止しました。また、2009年にはニベ(動物の真皮に近い部分)による工業用ゼラチンの製造を終了し、現在では食用ゼラチン・コラーゲンペプチドの製造のみを行っています。
シェービング原料とは、クロムなめし革の製造の副産物として排出されるもの。平滑な面を得るために削った残りは、工業用膠の原料として用いられた
ーでは、PIGMENT TOKYOに卸していただいている顆粒の牛膠も……
福島:食用ゼラチングレードのものを美術・絵画向けに特別加工して出荷しています。* 3
(* 3 当ラボの商品は絵画用途で製造・販売しているため、口には含まないでください。)
ー現代では、ゼラチンと膠はどのようなものに使用されるのでしょうか。
福島:ゼラチンの用途で最近多いのは「グミ」です。そのほかにも、機能性食品分野や再生医療分野でも活躍しています。
膠としてはマッチ、研磨布紙、紙器、紙管、製本、などが主な用途です。ただし、膠の市場は1996年を境に下降傾向にあります。ライターの普及、紙器からダンボール素材を使用したクラフトボックスへの移り変わり、ハードカバーの本の減少などが影響しています。
膠特有の強力な初期接着力と、塗布後に短時間で高粘性を示し更にゲル化する性質は紙箱の製作作業にも適していると聞きます。
ー皮革産業や、ゼラチン・膠産業全体で、ここ数年大きな変化はありますか。
福島:一般的に皮革産業とは、成牛や成豚の革を生産する企業のことを指します。そのため、我々の業界とは関係のある事業ではあるのですが、全く別の業界です。
ただ、兵庫県の中でも姫路市の高木、御着、網干、たつの市松原、誉田、沢田および太子町の企業数、出荷額では全国の約1/2を占め、特に成牛革の生産量は全国約7割のシェアを誇っています。
また、皮革産業の低迷により、その副産物を主原料としていた当社への影響も少なくありません。併せて、ゼラチン・コラーゲンペプチド等の高付加価値のある製品にシフトしたことにより、国内の膠は、食品に転用できない原料から製造される「工業用ゼラチン」のみとなっています。
このような工業用ゼラチンを原料から製造しているのは、国内では姫路地区のみです。
ー宏栄化成オリジナルの膠製造に携わるきっかけをお聞かせください。
福島:手造り膠に関しては、 京都芸術大学(旧・京都造形芸術大学)の、 京都技法材料研究会の青木芳昭教授より要請を受け、2014年2月に行った同教授のゼミ向けのワークショップが始まりです。同会は既に閉会しており、現在ではPIGMENT TOKYO向けに製造しているのみです。
ーPIGMENT TOKYOオリジナルの和膠はどのような原料を使用しているのですか。
福島:絵画に適した数値を得られる原料を用いて、火おこしから乾燥まで全てのプロセスを職員が手作りで製造しています。そのため大ロットで製造することが容易ではありません。
それぞれ物性値の異なったものが販売されているのは、そのためです。
当ラボ店頭での膠のディスプレイ。前述の通り、それぞれ物性値が異なっている
ーどのように製造されているのでしょうか。
福島:品質の測定や試験を行うエリアで製造しています。
当社の製造部門の職員ならば、品質の高い膠を作ることができると自信を持って製造・販売を行っています。
宏栄化成株式会社内の試験室。丁寧に製造され、当ラボへ納品される
「動物の皮を原材料として煮て作ったものだけが膠である」と思い込んでいましたが、ゼラチン・膠業界は時代の移り変わりやニーズの変化に伴い、原料や製造方法が多様化されていました。
近年では「持続可能な開発目標」の観点から、動物系の副産物からゼラチン化、コラーゲンペプチド化の問合せが増加しているという同社。
限りある資源を有効活用しながら、最先端の医療現場にも貢献していたという、私たち美術家にとって馴染みのある「膠」を作る技術の秘めたる可能性を感じた取材でもありました。
後編では、実際にオリジナル和膠の原料を炊いた様子をレポートいたします。
【企業情報】
宏栄化成株式会社
〒671-1262 姫路市余部区上余部33
代表取締役:福島 隆
TEL:079-273-2001
FAX:079-273-2010
ウェブサイト:https://www.koei-chem.com/index.html
*同社の膠はPIGMENT TOKYO限定商品です。
PIGMENT TOKYOの店舗及びオンラインショップよりご購入ください。
https://pigment.tokyo/
【参考資料】
国立日本語研究所「日本語史研究用テキストデータ集 二十巻本和名類聚抄[古活字版]」(2024年3月1日閲覧)
https://www2.ninjal.ac.jp/textdb_dataset/kwrs/kwrs-015.html
日本ゼラチン・コラーゲン工業組合「ゼラチンってなに?」(2024年3月1日閲覧)
https://www.gmj.or.jp/gelatin/introduction.html
日本ゼラチン・コラーゲン工業組合「コラーゲンペプチド」(2024年3月1日閲覧)
https://www.gmj.or.jp/collagen/collagen-peptide.html
兵庫県皮革産業協同組合連合会「兵庫の皮革の歴史」(2024年3月1日閲覧)
https://www.hyohiren.or.jp/HISTORY.html
兵庫県「兵庫県の地場産業の紹介」(2024年3月1日閲覧)
https://web.pref.hyogo.lg.jp/sr09/ie07_000000017.html
文化遺産オンライン「和名類聚抄」(2024年3月1日閲覧)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/90530#