アーティスト・池永康晟氏が制作で使用する天然・新岩絵具をベースに、PIGMENT TOKYOが取り扱う顔料を組み合わせた「池永康晟色材精選 12色 」。2026年のリニューアルに伴い、そこに込められた作家自身の色彩への想いを深掘りするため、池永氏のアトリエにてインタビュー取材を行いました。
前回のインタビュー「池永康晟の筆 — 太晟・康尖 —」では理想の筆への思いを伺い、本記事では、その選び抜かれた顔料がいかにして無限の奥行きを生み出すのか、亜麻布という「支持体」と岩絵具がどのように共鳴し、ひとつの作品へと昇華していくのか。その制作の奥義を紐解きます。

池永康晟氏 アトリエにて
色材精選:誕生とレシピ
— 「色材精選」が誕生した経緯をお聞かせください。
池永康晟氏(以下、池永/敬称略):
きっかけは、中国から来られた団体のお客様向けのワークショップです。
その際、「肌の色の表現方法を知りたい」というリクエストをいただき、描き方を説明するために、私が普段使っている肌色の混色レシピを公開しました。この時、「そのレシピと顔料セットがあれば誰でも本格的な人物画が描ける」という明確なコンセプトが生まれ、商品化へと繋がりました。
普段でも、私はほとんどこのくらいの種類の色しか持っていません。「色材精選」に関しては、どの色を隣同士に配色して描いたとしても、画面全体が綺麗に調和するような顔料を選んでいます。 12色という色数は多すぎず少なすぎず、ほどよいボリュームなんですよね。こういった、岩絵具を初めて使う方でも扱いやすいセットは他には中々ないと思います。
— 顔料の色の選定はどのようにされたのですか。
池永:
リニューアル前は、当時使用していた「肌色のレシピ」に、できるだけ近くなるように考えました。24色セットは、その調合になるべく合わせた番手(粒子の粗さ)の顔料と、普段使いやすい色を少しプラスした構成です。
ただ、色のレシピはキャンバス(支持体)のコンディションなどの影響を受けて、毎月のように少しずつ変わっていきます。あとは、顔料が廃盤になってしまうと、組み合わせる色や配合を総入れ替えすることになってしまいます。
はじめは茶系や黒系の色がメインとなる構成でしたので、今回のリニューアルによって全体の彩度が上がり、以前より明るい印象になったのではないでしょうか。人物画を描くためのセレクトではありますが、私の絵具のフルセットに匹敵するほど充実した内容になっています。
さらに使いやすい組み合わせへと変わりましたので、人物以外のモチーフも十分に描けるラインナップに仕上がっています。

— リニューアル後、顔料を選定されるにあたり、色味やトーンのほかに意識した点はありますか。
池永:
顔料のなかには、「膠(にかわ)と馴染みにくいもの」がありますよね。
「新岩 小豆茶」や「天然 岩焦茶」といった、赤・茶色系は膠とスムーズに馴染みますが、新岩絵具の黄色・オレンジ系は、特にその点のコントロールが難しいと感じています。そのような扱いにくい色であっても、「天然 岩焦茶」のような馴染みのいい顔料と混ぜることで、多少描きやすい質感に変わるので、私は日頃の制作でもそのように使っています。
また、天然絵具と新岩絵具のどちらが良いというような先入観はなく、あくまで「色味」と「膠との馴染み」を優先して選んでいます。
今回、新しいセットに選んだ黄色・オレンジ系の「新岩 黄紅」と「新岩 金茶」は、本来そうした難しさのある色ですが、そのなかでも私の知る限り、最も膠との相性が良い岩絵具だと思います。
池永康晟色材精選 12色 セット内容(2026年リニューアル版)
上段:天然 岩黒 13番/天然 淡口金茶 13番/天然 岩焦茶 13番/新岩 錆茶 13番/新岩 小豆茶 13番/天然 岩岱赭 13番
下段:新岩 黄紅 13番/新岩 金茶 13番/新岩 鶯 13番/新岩 黒緑青 13番/新岩 藍群青 12番/新岩 黒群青 12番
肌色の探求:岩絵具と土絵具

《夢中夢・杏奈》2025年 20×50cm
— 使われている顔料は粒子が細かく、抑制された色彩が印象的です。そうした表現は、どのような歩みのなかで確立されたのでしょうか。
池永:
どこからお話しすればいいのかな...。いくつか話の方向があるのですが、まずは私の表現の根幹である、「肌色」についてお話します。
もともと絵画の歴史には、時代の積み重ねのなかで生まれたあらゆる画法や画風の先例がありますよね。自分が描きたいものを調べると、いくらでもその作品の「レシピ」が出てくるわけです。
20代の頃の私は、「あのアーティストの、この画風をやってみたい」「あの技術を身につけたい」と、そのすべてを自分に取り入れたいという思いで試行錯誤していました。
しかし、そうしているうちに段々と自分らしさが見えなくなり、結局行き詰まってしまい、過去のレシピを追いかけるのは一度やめようと思ったんです。「自分だけが持っているものは何だろう」と、そこから長い時間をかけて模索を続けました。
試行錯誤の末、家の前にある泥を膠(にかわ)と一緒にミキサーにかけてキャンバスに塗ってみると、ドロドロとした汚い色面になってしまいました。「失敗した」と思いお湯で洗い流してみると、残った成分がキャンバスの上でパッと発色して、それが私の「肌色」になったのです。
この肌色のレシピさえあれば、余計なものを削ぎ落とした最小限の表現で、自分らしい絵になるのではないか。そう確信して、そこから私の人物画が再出発しました。基本、今も私の描く肌色は土絵具の階層(レイヤー)で作っています。
粒子が粗く、岩絵具の鉱物らしい質感があることを「日本画の良さ」のように言われることもあるじゃないですか。
この肌色をベースにするからこそ、一緒に使う岩絵具を選ぶときも、なるべく土の風合いに近く、粒子の細かいものを選んでいます。でも、私は過去にさまざまな画風や画法を取り入れようとして挫折を経験したので、自分が描くときには、そのような素材による “味付け” はなるべくしないように制作しています。
逆に言うと、「今の自分の絵に味がついてるのだろうか」と分からなくなってしまい、悩んでいるところでもあります。
岩絵具は生の鉱物ですので、素材そのものがむき出しの状態です。世間一般における日本画のイメージは「ナチュラルで渋い」かもしれませんが、実際はケミカルカラーやネオンカラーのような、割とビビッドな色も多く存在しています。そうなると、やはり自分には少し扱いづらいと感じてしまいます。

— 岩絵具において、色を塗り重ねながら、レイヤーによって混色していく技法が一般的ですが、西洋画を学ばれた経歴もある池永さんの視点から、独自の制作工程やルールなどはありますか?
池永:
基本的には混色をした絵具を、1色につき一回しか塗りません。
また、キャンバスに描いているということもあって、水分が多くゆるい絵具を使い、ストロークで何層も重ねていくような描き方ができません。
絵具を重ねる層は下地塗りと合わせて、多くても二、三層まで。それ以上塗り重ねると、亜麻布が基底材の場合、物理的に絵具が画面に乗らなくなってしまうんです。
彩色する部分の下地はすべて「黒」にしています。黒い下地の上では、細かい粒子の絵具を一回重ねるだけで、それなりにしっかりと発色してくれるんです。
取り入れている基本的な重ね塗りのルールとしては、暗い色を先に置いて、明るい色は後から塗るようにしています。

— 岩絵具を溶く際に気をつけているポイントはありますか?
池永:
限られた手数の中で美しい発色を引き出すために、岩絵具と膠を混ぜて絵具にするときの “旬” が、実はものすごく重要になってきます。
岩絵具を膠で溶き始めるとき、最初はただの「砂」と「膠」の状態なんです。それが、しっかりと練って数時間経つと、滑らかな一体感が出てくる。でも、一定以上の時間が過ぎると、またダメになってしまう。
いわゆるゲル状とは少し違うのですが、砂と水のようにまとまらない状態から、ひとつの物質へと変化する絶妙な時間帯があるんです。その瞬間に、いちばん絵具が筆に馴染み、降りも良くなります。その “旬” を逃さないように、キャンバスの上に一回きりで、とても硬い面相筆を使って描いています。
岩絵具のなかには、膠と非常によく融和するものとそうでないものがあるのですが、私は制作の中で見つけてきた相性の良いものだけを使っています。 硬い面相筆を使って一回で塗るわけですから、筆の穂(毛)にしっかりと絵具が含まれて、降りやすいことが大前提なんです。
しかも、そうした絵具は、画面に置いたあとも膠と顔料が分離することなく、バラバラにならずに筆の動きへ綺麗についてきてくれるんです。
色彩:表現と美学

《金平糖・みな》2026年 40×40cm
— 肌の色と同じように、衣装や背景も混色して描かれることが多いのでしょうか。
池永:
制作において、絵具(顔料)をそのまま単色で使うことはほとんどありません。
今回の顔料セットの構成で言うと、基本的には岩黒と岩焦茶をベースとして他の色に混ぜ、ある程度、彩度と明度を落としてから使用しています。
また、同じトーンで構成される「色面」は絵の中で主張が強くなります。主張を抑えたい衣服の模様や背景は緻密に描き込み、顔や手のしぐさや表情を色面として浮き上がらせる効果を狙っています。
いわば、迷彩効果と同じように、服や背景に細かい柄を散らして、体のラインとか、背景の空間を消し去り、画面に溶け込ませるような手法です。

《猫饅頭》2026年 25×25cm
— 配色や色のトーンは、どのように選ばれていますか。
池永:
もともと手元に置いてある絵具の種類自体が少ないので、配色を細かく考えることはほとんどありません。青・緑・黄色・赤のような色しか持っていないので、配色のしようがなく、色の組み合わせはおのずと決まってしまうんです。
基本はモチーフに近い色を選んでいますが、「この色の隣に、これを置いたらどうなるか」というような複雑なことはそんなに考えていません。意識しているのは、前景と背景の彩度に差をつけるくらいです。
うちの絵具棚に並んでいる顔料も「色材精選」と同じぐらいの種類しかありませんが、それらも長い間をかけて色々と試した結果、どの色が隣に配色されてもバランスの良い組み合わせになっています。

— 混色のレシピはどのようなタイミングで調整されているのでしょうか。
池永:
基本的には、地塗りからすべて同じ方法で行うようにしています。
ただ前提として、キャンバスのコンディションは シーズン(季節)によって変化します。そのため、どれだけ地塗りを同じように行っていても、発色や風合いが変わってしまいますし、それに合わせてベースとなる地の肌色も変わってきます。
そこから連動してすべてがドミノ式に変わっていくので、「これで上手くいった」と思い同じことをやっても、何回か繰り返すと必ずどこかで上手くいかなくなるんです。
だからその都度、グラム単位で少しずつ配合を変えながらレシピを調整しています。なぜか何回か繰り返すうちに上手くいかなくなってしまうので、その度にレシピを考え直す、という感じです。
それはおそらく、どの作家さんのどんな技法でも同じではないでしょうか。

作品のテストピース
—色を調整する配合表やレシピを作る工程は、以前から行われていたのでしょうか。
池永:
はい、私はあまり自分の感覚を信じてないので、昔からそうしています。
制作の途中で、「本当にこの色で良かったのだろうか」と迷い始めると前に進まなくなってしまうので、「このレシピで描けば大丈夫なはずだ」と自分に言い聞かせながら筆を動かしています。
そのため、作品ごとに絵の雰囲気を変えるようなことはせず、自分が描きたいモチーフを「この『型』に放り込むと、どんなものができるのだろう」というアプローチをとっています。
ベースとなるレシピがしっかりと確立しているからこそ、選んだ素材やモチーフがどんな味になるか、その微細な違いがわかるので、長くこのやり方を続けています。
画材と手法:制作の哲学

《牡丹一華・のぬ》2025年 20×50cm
— 作品には縦長の構図が多い印象がありますが、画面のサイズやレイアウトにはどのような意図(狙い)があるのでしょうか。
池永:
私の中では、80cm×40cmという大きさがひとつの基準としてあります。手のストローク(動かせる範囲)がギリギリ届くサイズ感というのも、好きなところです。
画面のサイズが大きすぎると、かえって表現の自由度が増えてしまうので、その限られた枠の中にモチーフを「どう入れるか」ということを常に考えています。
横長のシリーズもありますが、基本的には縦のレイアウトが多いですね。モデルを画面に配置したとき、あえて上半身を切り取る(フレームアウトさせる)ことで、女性が最も綺麗に見えるからです。

《聴こえぬ記憶・香蓮》2021年 80×40cm
— 制作される際のイメージや、ご自身の中での決め事はありますか。
池永:
美人画のひとつの作法というか見せ方として、人物を描くときは “パーソナル” を描ききらないようにしています。細部まで描き込みすぎてしまうと、具体的な誰かになってしまう。あえて個人の特定に繋がる要素を曖昧に留めておくことで、その先を見てくださる方の記憶で補完してもらうんです。そうすると、その絵が鑑賞者自身の記憶の中にいる人や、大切な人に見えてくる、そういう効果を狙っています。
この考え方を色彩に置き換えて言うと、なるべく画面の色彩を抑え、その奥に潜む “見たい色” は鑑賞者に補完してもらう、というのが私の手法です。ですから、顔料そのものの主張が強い、粒子が粗くてビビッドな種類はなるべく使わず、土に近い質感の色材を選んでいます。
モデルの方に関しても、たとえば肌の色や雰囲気を写し取るというよりも、私の中になんとなくイメージを投影して描いています。
最初に描き始めた時に決めたルールがいくつかあって、ひとつは「自分の部屋の中の出来事を描く」ということ、もうひとつは「絵画的な味付けとか演出をしない」ということ。あともう一つあったんですけど、もう思い出せないです。
ただ、とにかく “絵画っぽい” ことはしない、と決めているんです。たとえば、少し暗がりのシチュエーションの絵にしてドラマチックな演出を加えたり、時間や作品背景といった設定を付け足したりすることは排除しています。ライティングによる光の演出もしないようにして、フラット・ライトで描いています。
*フラット・ライト...被写体に強い陰影を作らず、全体をフラット(平面的)に明るく照らすライティング手法。
— 現在とは異なる支持体や手法で、今後使ってみたいものはありますか。
池永:
かつて愛用していた「フナオカ*」のキャンバスをもう一度使いたい、という思いが強くあります。
私の技法は、世間的には「キャンバスを染める」と表現されることが多いのですが、もともと布自体を染めているわけではないんです。実際は、麻の表面をゴシゴシと “いじめる”ような、かなり負荷のかかるやり方をしています。
現在使っているクレサンのキャンバスの抑制された美しい布目は、宥めるような繊細な下地つくりを要求してきます。時折また、あの野生的な支持体を懐かしく思うこともあります。どちらも私には必要なのだと思います。
*フナオカキャンバス:日本画材工業株式会社が製造していた国産キャンバス

— ご自身の表現を再び支えてくれるような、新たな画材との巡り合わせはありましたか。また、「画材の変遷」とはどのように向き合ってこられたのでしょうか。
池永:
「これならいける」と思えるものに、少しずつ巡り合っていく感覚ですね。
色々と試行錯誤しているうちに偶然生まれた理想の「肌色」ですが、実はその後しばらくは自力で再現することができませんでした。自分ではそれなりに形にできているつもりでも、最初に直感した「あの肌色」を何としても100%復活させなければならないと、頑なになってしまう。今思えば、一種の甘えのようなものだったのかもしれません。
やはり、最初に失ったものに対する喪失感はそれだけ大きく、表現のキーとなる色を導き出す代わりのものが見つからなかった当初は、本当に失望しました。
そうやって「できない、できない」と模索しているころに、ナカガワ胡粉の土絵具シリーズが発売されたんです。
当時は天然素材ならではのナチュラルな顔料を必要としていたのですが、それまで市場になかった土顔料が登場したことで、「これで求めていた肌色が作れる」と道筋が見え、実際に自らの表現として確立することができました。そう考えると、ひとつひとつの画材との巡り合わせもあり、別れもあるなと感じます。
これまでも、気に入って使っていた顔料や画材が、諸々の理由で色味が変わってしまったり、廃盤になったりするのは、同じ画材で描き続けている身としては本当に辛い問題だなと思っています 。
私たちは、そうして失われた幻影を追い求めて、時間をかけてやっと同じような表現に辿り着くわけですが、それが作家にとって良いことなのか悪いことなのか、私自身もよく考えたりします。
おそらく、どのアーティストもこうした画材や道具の変遷、喪失との戦いを経験しているはずです。その荒波のなかで、時代の移り変わりを受け入れつつ、今の自分の表現に本当に合っているのかどうかを、常に問い直しているのではないでしょうか。

池永氏の審美眼を通して厳選された「色材精選」の色彩は、単なる「顔料セット」という枠を超え、氏の作品を形作るDNAそのものと言えるかもしれません。
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池永康晟(いけなが やすなり)IKENAGA YASUNARI
1965年大分県生まれ。
大分県立芸術短期大学付属緑丘高等学校卒業。自身で染め上げた麻布に岩絵具で描く美人画が、独特な質感と芳香を放つ。
文房具や本の装丁など海外からのオファーも多い。
2014年に刊行された画集「君想ふ百夜の幸福」はロングセラーを続けている。
スペイン、アメリカ、イタリアでの装丁画、ドイツでのラムダプリント、ロシアでの文具デザイン。
国内では、AKB48の横山由依写真集への作品描き下ろし、浮世絵版画、ラブドールとのコラボレーションなど異色の展開をみせ、現代美人画シーンを牽引する。
公式WEBサイト https://ikenaga-yasunari.com/index.html
X 池永康晟 (@ikenagayasunari) / Posts / X
Instagram Yasunari Ikenaga 池永康晟
【メインビジュアル使用作品】
《程式・佳乃》2024年 45×30cm


