前編と後編でお届けしているアメリカ在住の日本画家、マコトフジムラ氏へのインタビュー。後半では、氏の素材にまつわる美学に迫ります。
日系アメリカ人アーティストの目線からみた、日本美術の素材が持つ魅力とは一体何なのでしょうか。
ーご自身と画材・素材はどのような関係がありますか。
マコトフジムラ氏(以下、フジムラ/敬称略):日本画っていうのはある意味エコシステムだと思っていて、こうして日本画を描いてるということは、そのエコシステムをサポートしているってことだと考えています。
例えば、絵を描くためには、和紙や筆をはじめとして、墨や硯などを作る様々な職人さんの力が必要じゃないですか。そして、それをアーティストが使って彼らをサポートする。これが大切なんです。
最近は画材製造も多くが機械化されてしまっているので、ものを売って買うだけの世界だけになったらいけないなって思います。
ー資本主義的に無意味だからと捨ててしまうと、文化は消えてしまいますものね。
フジムラ:逆に、「もの」も人間を必要としている部分もあると思います。
紙を漉くことひとつとっても、種類によってはプロの作家でしか使えない紙もあるわけでしょ。それが日本画の可能性というか。そのために植物を育てているわけじゃないですか。
そういう世界のジェネレーションを継いでいく人たちが、社会のエコシステムを育てているんだと思っています。
ーそういった画材をアメリカで発表した当時、どんな反響はいかがでしたか?
フジムラ:90年代で日本画というのをアメリカで前に出していたのは、千住博さんと僕だけだったかな。最初は2人展もやったんですよ。
その当時、ニューヨークのアートシーンでは「美」に対して凄く反発があったんです。コンセプチュアルアートが台頭している時代だったので、ビューティーはタブーだった。
ただ幸い、僕にとっての美は日本文化だったので、それを語ることが許されたんです。
スタジオでインタビューに答えるマコトフジムラ氏
ー90年代以降から「スローアート」という言葉も台頭し始めましたね。
フジムラ:アメリカで日本画といっても誰も知らないから、僕はこれを「スローアート」として説明していました。
そしたらディビット・ブルークスというニューヨーク・タイムズのライターが、それを記事にして、どんどん広がっていったんです。
ーそういった経緯があったのですね。
フジムラ:今、アメリカは様々な問題を抱えています。そうしたたくさん亀裂がある社会の中で、私は文化ケア(Cultural Care)というコンセプトを提示しています。これは文化戦争に対抗するための考え方です。先ほどの、アーティストと画材職人との関係も、文化ケアのひとつです。
自然と文化を切り離してしまう西洋に対して、日本は自然と文化が融合している、それが日本画でしょ。
そして、それは文化をケアをする。環境保護の流れとアートが、自然と繋がっていて当然だと思うし、今までもそうしたことを経て日本画材が洗練されてきた。
自然との関わりが、今の日本の文化を作っているんです。
ースローアートと文化ケアは21世紀において大切な考え方ですね。
フジムラ:90年代は機械的なモダニズムが流行っていた時代ですので、それに対して人間的な流れを感じ、オーガニックなものを手で作ることを、人々は求めていたんだと思います。
それがきっかけで、金継ぎとスローアートということを取り上げてくれました。
ーフジムラ様の中で金はどのような素材としてのイメージがありますか。
フジムラ:留学当時はあまりお金がなくて。純金箔は高いので、他の色々な箔を使っていました。当時は子供もいましたから、大変でしたよ。
したらある日、手塚雄二先生がアトリエに入ってきて「フジムラくん、素材は本物を使わないと分からないよ」とアドバイスをしてくれました。
ー留学時代、お子様もいらっしゃったんですね。
フジムラ:はい。で、やっぱり材料っていうのは、真剣勝負というか。とはいえお金がないので、当時の私はお昼を食べずに金箔を買ってました、笑。
で、実際に純金箔を使ってみると本当に違う。手塚先生がおっしゃってたように、やっぱり金っていうのはいいなと思いました。特に日本の金は、ユニークに感じますね。
ーものが答えてくれる。
フジムラ: そうそう。自分で金箔を貼ってみないと分からないですよ。ちょうどその頃、藝大に加山又造先生が来て、僕は最初の生徒だったんです。
今思い返すと少し邪道な箔の使い方をしてたのですが、ちょっと変わったことをすると、加山先生は「面白い」と言ってくださって。
加山先生との繋がりを通して、更に金の魅力を感じることができました。彼の作品を見ていると、金や銀への強い思いを感じることができますね。
制作途中の同氏の作品
ーフジムラさんにとって素材はどのような意味を持っていますか。
フジムラ:素材そのものが何かこう真実を捉えているというか、清いものが入っている。美ですよね。ピグメントは化学的に作られたものだから、粒子が均等。
でも日本画の材料は顕微鏡で見るとそれぞれが荒々しくて、一粒一粒がユニーク。プリズムのようになって、それぞれが同じようで違う。そして光を当てると屈折する。そうした要素が僕の美意識と哲学において、非常に大切だなと思っています。
パーフェクトな世界じゃなくて、未完成の世界。砕かれた世界というのが、何か世界の真理を捉えているように思うんです。
岩絵具の緑青を持つフジムラ氏
ー不完全さが教えてくれることというか。
フジムラ:西洋的な考えだと、常に完璧を追求するというか、矛盾したものを捨てる思考がありますよね。でも日本の美意識っていうのはそうじゃない。
何も捨てないという。それはやっぱり素材を大切にするっていう以上に、そこに何か清いものが宿んでいるんだと思う。
それは自分なりの神学的な思想に繋がっているんじゃないかなと思っています。
馬小屋をリノベーションしたという同氏のスタジオ
大学時代に、ある一人のアーティストのアドバイスから、幼少期を過ごした日本へ留学し、そして様々な経験を経て、東洋的な審美眼を磨いたフジムラ氏。
その稀有な経歴も去ることながら、日本画材に対する熱い思いを語るその姿は、非常に魅力的でした。
同氏に今後の展望についてお伺いしたところ、「日本の文化を通して、暗闇の世界にいる恵まれない子供たちと、美の世界とを繋げていきたい」と語っておりました。
アメリカで生まれ育ったフジムラ氏だからこそ知覚できる日本の美学は、インタビューを行った私たちにとっても、新たな気づきを与えてくれるものでした。